1906年11月07日 韓国・葉銭整理 鶴原長官の訓諭

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.164

(1906年11月7日 朝鮮新報)
葉銭整理に関する訓示
 鶴原長官は、二、三日前、各理事官および副理事官に対し、葉銭整理についての訓諭を出した。そもそも葉銭整理は、韓国政府が以前から強く希望してきたものであり、すでに度支部(財政担当官庁)からも、観察使や郡守など地方官に対して、先ごろ通達が出されていた。
 その趣旨は次の通りである。葉銭は本来、補助的な貨幣として用いられるべきものであるにもかかわらず、三南地方(忠清道・全羅道・慶尚道)などの流通地域では、ほとんど正貨(正式通貨)と同様に扱われている。しかも法定価格は十五文であるのに、実際の取引では、一円を一円五十銭相当として扱う例がある。
 本来は葉銭一千文を一円とすべきところ、五百文や七百文で一円とする場合すらあるという状況である。しかし実際には、そのような価値があるわけではなく、また葉銭は運搬にも常に不便であるため、日本商人などの取引において少なからぬ支障をきたしている
 そこで今回、一円はあくまで一円として取引することとし、租税などの支払いについても、一円以上の金額では原則として葉銭を使用してはならないこととする。その点を十分承知しておくように、との趣旨で訓示がなされたという。

◾️ 「葉銭」とは何か

葉銭(ようせん)とは、

  • 朝鮮王朝末期から大韓帝国期にかけて流通した
  • 薄く粗悪な銅銭(またはその俗称)

を指します。
形状が薄く、価値が不安定であったため、補助貨幣として位置づけられていました。

◾️ 韓国貨幣制度の混乱

19世紀末から20世紀初頭の韓国では、

  • 旧来の銅銭(葉銭)
  • 日本円
  • 銀貨
  • 紙幣

が混在し、貨幣制度が極度に混乱していました。

特に地方(記事中の「三南地方」)では、

  • 葉銭が事実上の基準通貨となり
  • 相場が地域・時期ごとに大きく変動

する状況が続いていました。

◾️ 鶴原長官とは

ここでいう鶴原長官は、韓国統監府(1905年設置)に属する日本人高官で、財政・金融・行政整理に関与していました。

1905年の第二次日韓協約(乙巳条約)以降、韓国は外交権を失い、内政・財政分野にも日本の強い介入が及んでいました。

◾️ なぜ「葉銭整理」が行われたのか

名目上は、

  • 通貨価値の混乱是正
  • 税収の安定
  • 商取引の円滑化

が目的でした。

しかし実態としては、

  • 日本円を基準通貨として定着させる
  • 日本商人・日本資本に有利な経済環境を作る

という、植民地的経済支配の準備段階でもありました。

◾️ 日本商人への配慮

記事中で明確に、日本商人等の取引に就て迷惑少なからざるに付と述べられている点は重要です。
葉銭整理は、韓国側の要請という形式を取りつつも、実際には在韓日本人の経済活動の利便性を最優先した政策であったことが読み取れます。

◾️ 歴史的意義

この「葉銭整理」は、

  • 1902年の貨幣整理
  • 1905年以降の財政顧問制度
  • 1909年の韓国銀行条例
  • 1910年の韓国併合

へと続く、韓国金融主権喪失の過程の一環に位置づけられます。

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