(明治39年1月2日 東京日日新聞)
(四)一時借入金および大蔵省証券
すでに歳入歳出の項で述べたとおり、年度内に財政上の不足が生じるのは、国庫の仕組み上、自然なことではある。しかし、時あたかも国政が多忙を極めた時期(日露戦争期)であったため、政府の出納(支出と収入)の均衡は大きく乱れた。平時には、政府が一時的に借り入れる資金(=一時借入金)は、毎月およそ1,000万円前後であったが、戦争の始まった明治37年以降は、おおむね毎月5,000~6,000万円という巨額にのぼり、同年末(1904年末)には9,400万円余に達した。
しかし、翌38年(1905年)に入ってから、政府は外債(外国で発行した国債)によって得たポンド資金(英貨)を、この一時借入金の返済にあてたため、その残高は大きく減少した。
その結果、1月末には約4,700万円の減少を示し、また平均して毎月の借入額も前年より約1,300万円減少した。その推移を月ごとにみると、次のとおりである。
月 月末残高(千円)
1月 47,000
2月 53,000
3月 45,000
4月 33,000
5月 33,000
6月 46,000
7月 31,500
8月 30,500
9月 56,500
10月 41,500
11月 62,500
(備考)上記金額は各月の月末残高を示す。(以下略)
1. 「一時借入金」とは
「一時借入金」とは、政府が年度内の一時的な資金不足を補うために行う短期借入のことです。たとえば税収の入金時期と軍事費の支出時期がずれる場合、政府は銀行(主に日本銀行)から一時的に資金を借りて調整します。これは現代で言えば「短期国庫証券(TB)」に近い性質を持ちます。
2. 戦費調達と外債発行
明治37〜38年(1904〜1905年)は、まさに日露戦争の戦時財政の時期でした。この戦争は莫大な費用を要し、政府支出は急増しました。戦費総額 約18億円(当時)、うち外国債発行額 約8億円(44%)、主な借入先 イギリス・アメリカの金融市場。このため日本政府は、国内徴税だけでは到底足りず、外債(ロンドン・ニューヨークで発行した円借款)を発行し、その外貨を円に換えて戦費に充てました。
この記事中の「政府は外債によりて得たる英貨を、一時借入金の返済に充てしかば」とは、まさに戦時借金(短期資金)を外国債の資金で返したことを意味します。
3. 借入金の減少=戦後財政の安定化
明治38年(1905年)は、8月にポーツマス講和条約が成立し、日露戦争が終結しました。
そのため、
• 戦費支出の圧力が減った
• 外債による外貨調達が順調に進んだ
• 国内経済が平常に戻りつつあった
結果として、政府の一時借入金残高が大きく減少したのです。表を見ると、夏から秋にかけて再び増えているのは、戦後処理費(復員費・補償費)の支出があったためと考えられます。
4. 大蔵省証券とは
当時の「大蔵省証券」とは、政府が短期の借入金を調達するために発行した短期国庫証券のようなもので、一時借入金と密接に関連しています。主に日本銀行が引き受け、政府資金の出納に利用されました。
5. 歴史的意義
この記事は、日露戦争後の財政収支の回復を示す重要な記録です。
• 日露戦争によって国家財政は急激に膨張した
• 政府は短期借入金(国内)と外債(国外)の二本立てで戦費を賄った
• 戦後、外債資金の流入で一時借入金が圧縮され、財政に余裕が出た
すなわち、この記事は「戦時経済から平時経済への移行」を数字で示しているのです。


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