1906年01月01日 明治三十八年(1905年) 戦闘の経過

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.1

(1906年(明治38年)1月1日、東京日日新聞)
⚫︎一月(1905年1月)
 1日 旅順(りょじゅん)開城。
 2日 旅順開城に関する会議。
 25日 黒溝台(こくこうだい)で敵が襲撃。
 26日 黒溝台を攻撃。
 27日 同上。
 28日 同上。
 29日 同上。
⚫︎二月(1905年2月)
 20日 榛子嶺(しんしれい)を占領。
 24日 清河城(せいかじょう)を占領。
 25日 揚大人屯(ようだいじんとん)付近を占領。
 26日 五百牛欄(ごひゃくぎゅうらん)を占領。
⚫︎三月(1905年3月)
 1日 姚千戸屯(ようせんことん)・松木堡子(しょうぼくほうし)を占領。
 同日 四方台(しほうだい)・大民屯・新民応を占領。
 2日 周官堡(しゅうかんほう)・王秀台を占領。
 4日 馬群店(ばぐんてん)を攻撃し、蘇胡堡を占領。
 5日 馬群店を攻め、東孤嶺を占領。
 6日 懐仁県を占領、馬群店を攻撃。奉天街道およびその西方で激戦。
 7日 東部の漢城堡を占領。
 8日 馬群店・小集屯・八家子・三台子を占領。
 9日 沙河(さか)の全線で追撃。
 10日 撫順(ぶじゅん)・奉天(ほうてん)を占領。
 8日 (注:新聞誤植の可能性)優詔(ゆうしょう、天皇の褒賞)を賜う。
 13日 興京(こうけい)を占領。
 16日 鉄嶺(てつれい)を占領。
 19日 開原(かいげん)を占領。
 21日 綿花街を占領。

⚫︎四月(1905年4月)
 4日 雌鷺樹(しろじゅ)を占領。
 12日 蒼什(そうじゅ)を占領。
 15日 英額城(えいがくじょう)・通化・八家子を占領。
⚫︎五月(1905年5月)
 4日 八宝屯(はっぽうとん)を占領。
 25日 四面城(しめんじょう)を占領。
⚫︎六月(1905年6月)
 10日 西営子・西平子を占領。
 11日 英額城および四方台に敵の逆襲。
 16日 四方城・双岔子(そうさし)・羅船口・馬家堡を占領。
 19日 楊木林子・柳条溝を占領。
 20日 北韓軍(朝鮮北部の日本軍)が活動。
 21日 南山城子で敵襲、発口子溝付近で戦闘。
 22日 英額城辺門および南山城子付近で戦闘。
 26日 輸城を占領。
 29日 大沙難を占領。

⚫︎七月(1905年7月)
 6日 獐項(しょうこう)付近で戦闘。
 7日 樺太(からふと)に日本軍上陸。
 8日 コルサコフ(大泊)を占領。
 12日 樺太南部を占領。
 24日 アレキサンドロフおよび第三アルコフを占領。
 25日 ヅーエ(ズンエ)を占領。
 27日 日本海海戦。
 同日 デルベンスコエを占領。
 同日 ルイコフを占領。樺太軍に優詔(天皇の褒賞)下る。
 30日 樺太全島を平定。
 同日 東郷大将にも優詔下る。
⚫︎八月(1905年8月)
 14日 二十里堡および昌円付近で戦闘。
 27日 内大荒溝・楡樹嶺を占領。南山城子付近で戦闘。
⚫︎九月(1905年9月)
 16日 全軍休戦。

記事の目的

 この新聞記事は、日露戦争の主要戦闘を月ごとに簡略にまとめた戦史年表です。
 読者に「昨年一年の戦いの歩みを振り返らせる」ことを目的とした新年号特集であり、いわば「戦勝の記録」としての意味を持ちます。

歴史的背景:日露戦争の全体像

  • 開戦:明治37年(1904年)2月8日
  • 終戦:明治38年(1905年)9月5日(ポーツマス条約)
 日本とロシアは、朝鮮半島と満州(現在の中国東北部)の権益をめぐって衝突。この戦争では、旅順攻囲戦、奉天会戦、日本海海戦などが転換点となりました。

記事中の主要戦闘の意義

戦闘日付意義
旅順開城1905年1月1日日露戦争の転機。ロシアの東洋艦隊壊滅。
乃木希典の攻囲戦勝利。
黒溝台会戦1905年1月25〜29日奉天会戦への前哨戦。日本軍の苦戦もあり。
奉天会戦1905年3月1〜10日陸戦の決戦。ロシア陸軍主力を撃破。
日本海海戦1905年5月27日
(記事中では7月27日と誤記)
東郷平八郎の勝利。
ロシア・バルチック艦隊壊滅。
樺太上陸作戦1905年7月〜8月北方戦線の確保。
終戦交渉(ポーツマス条約)を有利に導く。
休戦1905年9月16日実際にはポーツマス条約調印(9月5日)後の停戦発効。

「優詔(ゆうしょう)」とは

 「優詔」とは、天皇から戦功のあった将軍や軍隊に下される褒賞の詔(みことのり)のこと。
 記事中では、
  • 奉天会戦後(3月頃)
  • 樺太作戦後(7月)
  • 東郷大将(海軍大将)
などに対して下されています。これは戦勝報道の一環でもあり、国民に「天皇陛下の恩寵」を印象づける政治的要素も含んでいます。

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