(1908〈明治41〉年2月5日、東京日日新聞)
昨日、衆議院はついに増税案を可決した。
増税反対の声は今や全国に広がり、全国の商工業者も財政に関する意見を提出して、政府のその場しのぎの政策を批判している。国民の代表機関を通じてこれほど明確に世論が示されているにもかかわらず、衆議院がこれに反して増税案に賛成したことは、憲政政治のもとではまことに異常なことである。
増税案が可決された以上、これを覆す方法は二つしかない。一つは、今回の決議によって衆議院は国民から見放されたものと考え、来る総選挙をこの問題についての一種の国民投票とし、増税に賛成した議員を落選させることである。もう一つは、政府による選挙干渉を排除し、選挙の自由を守ることである。増税反対の世論によって衆議院を動かすことができなかった以上、国民は来る総選挙によって自らの意思を示すほかない。このため、次の総選挙はかつてないほど活発なものとなるだろう。
増税に反対してきた商工業者の希望は、昨日の可決によっていったん水泡に帰した。しかし、われわれはまだ国民が絶望すべき理由があるとは考えない。国民自らが政治を改め、5月の総選挙によって議員を選び直す道が残されているからである。
ただし、そこには国民の自由を妨げるものがある。それが政府による選挙干渉である。世論によって衆議院を動かせなかった国民にも、選挙によって候補者を選び、議員に自らの意思を示す自由は残されている。増税に賛成した議員を退け、「正義の制裁」を示す日は遠くない。
もし正義と世論が政府の圧力によって効力を失い、さらに選挙の自由まで妨げられるならば、その時こそ国民は絶望するほかない。しかし、われわれはまだ、そこまで絶望すべき理由があるとは考えない。今回、衆議院が不幸にも増税案に賛成したとはいえ、政治家の表面的な態度に惑わされず、その本心を理解することは難しくない。そもそも増税案の提出は、現在の内閣が本心から望んだものではない。本来は増税を望んでいなかったにもかかわらず増税案を提出し、さらに政府与党にも賛成を求めることになったのである。これは政府と与党との間に、そうせざるを得ない事情があったためである。
〔以下、省略〕
■ 日露戦争後の財政問題
この記事の背景には、1904~05年の日露戦争後に膨張した国家財政があります。戦後も軍備や鉄道などの事業に多額の資金が必要となり、政府は歳出整理とともに財源確保を迫られていました。当時は第1次西園寺公望内閣で、西園寺は1906年から首相を務めていました。
■ 「非増税運動」と商工業者
政府の増税方針に対し、商工業者などからは「まず政府支出を整理すべきで、安易な増税を行うべきではない」という反対運動が起こりました。記事中の「全国商工業者」「非増税」は、この動きを指しています。
■ 5月の総選挙を「国民投票」に
記事が特に注目しているのが、1908年5月に予定されていた第10回衆議院議員総選挙です。議会で増税を阻止できなかった以上、増税賛成議員を選挙で落選させることで民意を示そう、と論じています。
ここで「国民投票」という言葉が使われていますが、実際に増税の是非を直接問う国民投票が行われるという意味ではありません。総選挙を事実上の増税賛否の投票にしようという論説上の表現です。
■ 政府の「選挙干渉」への警戒
当時は現在の普通選挙とは異なり、選挙権は一定額以上の直接国税を納める成人男性などに限定されていました。また、政府・地方官による選挙への影響も政治問題となっていました。この記事が「選挙の自由」を強調するのは、議会政治が発展する一方で、選挙が政府から独立して行われるかが重要な争点だったためです。
■ 新聞の主張と歴史的事実を分けて読む
「天下の世論」「正義の制裁」といった強い言葉から分かるように、これは単なる事実報道ではなく、増税反対の立場から書かれた論説です。「国民=増税反対」という構図も新聞側の主張として読む必要があります。一方、政府側には戦後経営を支える財源を確保する必要があり、増税問題は財政再建と国民負担をどのように両立させるかという対立でもありました。
◾️まとめ
この記事は、増税反対の世論を衆議院が無視して政府の増税案を可決した、と東京日日新聞が批判した論説です。
そして、議会で増税を阻止できなかった以上、次の総選挙で増税賛成議員を落選させ、国民の意思を示すべきだと主張しています。
歴史的に重要なのは、増税問題そのものに加え、「世論 → 議会 → 選挙」という政治参加の仕組みが強く意識されていることです。明治後期に、議会は誰を代表するのか、政府から自由な選挙とは何かという、政党政治につながる問題が大きくなっていたことをよく示す記事です。

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