(1905年9月8日、東京朝日新聞)
朕(天皇)は、騎兵(乗馬兵科)の者を憲兵の勤務に補助として従事させる件を裁可し、これを公布する。
御名御璽(天皇の署名と印)
明治38年9月6日
海軍大臣 男爵 山本権兵衛
内務大臣 子爵 芳川顕正
陸軍大臣 寺内正毅
司法大臣 波多野敬直
勅令第208号
第一条
衛戍総督または衛戍司令官は、騎兵を憲兵司令官・憲兵分隊長、あるいは憲兵分隊長の指揮下に属させ、憲兵の勤務を補助させることができる。
第二条
憲兵の勤務を補助する者については、憲兵条例を準用する。
(以下省略)
これは憲兵(軍事警察)だけでは人員が不足していたため、騎兵部隊を憲兵の代わりに治安維持活動に投入できるようにする、という勅令です。
つまり「軍隊を警察の代わりに市民取り締まりに使う」ことを、天皇の名のもとで合法化したのです。
この事件によって、明治政府は「民衆運動が暴徒化するとき、警察だけではなく軍隊による鎮圧も辞さない」という姿勢を鮮明にしました。
以後、大正・昭和に至るまで、大規模な労働争議・市民運動に対して軍隊が出動することはしばしばありましたが、その原点のひとつがこの戒厳令です。
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