1905年09月01日 この屈辱は、すでに予想されていたことだった

軍事・騒乱

大きな屈辱を受け入れた理由

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷

1905年09月01日 東京朝日新聞
開戦以来、連戦連勝を重ねてきた日本帝国が、なぜ今回のような屈辱を甘んじて受け入れてまで講和を成立させなければならなかったのか。五千万人の国民は皆、憤りと失望を覚え、政府や当局の不甲斐なさを責めない者はいなかった。
このとき、政府側の有力者のひとりは平然と「屈辱を甘んじて受けるのには理由がある」として、社員(記者たち)に語った。
彼はこう言った。
「君たちは今回の講和条件を屈辱だと言うが、それは結局、将来を見通す眼がないからだ。試みに元老や桂首相、陸海軍の意見をよく聞いてみれば、自分たちがいかに短慮であったかが分かるだろう。」

▲ 桂首相の言葉
講和交渉が始まった当時、桂首相はある人にこう語っていた。
「今回の戦争の目的は、帝国の侵略的な野心から出たものではなく、あくまで自衛のためにやむを得ず行ったものであることは、宣戦布告の詔勅からも明らかだ。
そして韓国はすでに我が国の勢力範囲に入り、満州におけるロシアの権益も水泡に帰し、むしろ我が国の勢力下に収まった。つまり、戦争の目的はすでに十分に達成されたと言える。
賠償金や領土割譲といったことは、むしろ枝葉にすぎないのではないか。」

▲ 元老たちの意見
「今後さらに戦争を続け、ハルビンを攻略し、ウラジオストクを陥落させることは、必ずしも不可能ではない。だが仮にあと一年戦争を続けるとすれば、約18億円の戦費がかかる。
すでに過去1年半で費やした戦費を合わせれば、総額36億円近い莫大な額に達する。このような巨額の戦費を、本当に国民が負担できるだろうか。
たとえ国民が負担に耐えられたとしても、敵国の首都を落としてロシアの命運を完全に制することは到底不可能である。ゆえに、戦争を続けたところで、講和交渉でロシアに戦費を払わせることは極めて難しい。
だからこそ、国民がまだ戦費に疲弊しきっていない今のうちに戦争を終結させることこそ、最も賢明な策ではないか。
わずかな賠償金のことで、あれこれ深く気にする必要はないのだ。」

▲ 陸海軍当局者の意見
「開戦以来、陸でも海でも連戦連勝を重ねてきたのは、将兵の忠勇によるものではあるが、天の助けによるところも大きい。
だが今後も戦争を続けたとして、本当にこれまでのように連戦連勝できるかどうかは分からない。運よく勝ち続けられたとしても、多大な犠牲を避けることはできない。
だからこそ、講和の好機が訪れた今日に戦争を終え、我が陸海軍の名誉を永遠に保つことの方が、はるかに賢明である。」
このように理を尽くして考えれば、今回の講和の結果はむしろ当然であり、何ら不思議なことではない。元老から内閣の当局者に至るまで、今回の講和の成立をこそ真に国家の長期的利益だと考えているのだ。
それなのに君たちは、これを「屈辱」だと言う。私はその言葉の意味が全く理解できない。」
そう語られると、社員(記者たち)は呆然として何も言えず、そのまま立ち去った。

記事から、当時の日本の人口は約5千万人であったこと、日露戦争の戦費は18億円(現在の価値で約3兆円)であったことが分かります。

東京・大阪の朝日新聞は、屈辱・不平との言葉で政府の責任を問う記事を連日掲載し、国民も失望や憤りの気持ちを覚えていましたが、それに対する桂首相・元老・軍当局者の言葉となっています。

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