(1907年7月21日・東京朝日新聞)
(19日 京城発)
19日に統監(伊藤博文)が韓国皇帝に謁見した際の会話内容が漏れ伝わったところによれば、内容は以下のようである。
韓国皇帝:「ハーグへ行った者たちがいるようだが、私はまったく知らない。」
統監:「世界各国は、彼らを陛下が派遣した使節だと認識しています。陛下が知らないと言われても、誰がそれを信じるでしょうか。」
皇帝:「海外へ行った韓国人を処罰するのはどうだろう。」
統監:「陛下がオランダにいる韓国人を処罰できないのは、日本にいる韓国人を処罰できないのと同じことです。」
皇帝:「最近、私に皇位を譲れと言う者がいるが、あなたの考えはどうか。」
統監:「それは外国の臣下である私が口を出すことではありません。完全に韓国皇室の問題です。」
皇帝:「しかし、譲位を勧める者は、それは統監の意向だと言っているが、どうなのか。」
この言葉を聞くと、統監は顔色を変え、強い口調で言った。
統監:「誰がそんなことを言ったのですか。その者をここへ呼びなさい。私が直接問いただしましょう。」
すると皇帝は言葉に詰まり、その後は恐れた様子を見せた。
その後、日本政府内閣の強硬姿勢は、むしろ統監以上であるという噂が韓国宮廷内に広まった。
(後略)
写真・図引用:https://news.nate.com/view/20201114n14391?utm_source=chatgpt.com
1907年の最大の事件は、韓国皇帝であった 高宗 が秘密裏に派遣したとされる 第二回ハーグ平和会議 への密使事件です。
高宗は、日本が韓国外交権を掌握した1905年の 第二次日韓協約 の不当性を国際社会に訴えようとして密使を派遣しました。しかし会議側は「韓国には外交権がない」として正式参加を認めませんでした。
日本側はこれを重大問題とみなし、
- 高宗は保護条約を認めていない
- 日本の保護統治に反抗した
- 日韓関係の安定を損ねた
と判断しました。
その結果、日本政府は統監の 伊藤博文 を通じて高宗に退位を求める方向へ進みます。
この記事は、ちょうどその退位(7月20日)の前後にあたります。
ただし重要なのは、この記事では伊藤が「譲位は韓国皇室の問題」と否定している点です。しかし実際には日本側は高宗退位を強く促しており、これは外交的表現だったと考えられています。
◾️ まとめ
この記事から見えるものは3点あります。
① 皇帝は密使派遣への関与を否認している→ ただし歴史研究では高宗の関与はほぼ確実視されています。
② 伊藤は表向きには退位への介入を否定している→ 実際には日本政府内では退位論が進行していた。
③ 日本政府内ではさらに強硬派が存在した→ 記事後半の「内閣の方が統監より強硬」という噂は興味深い点です。
実際、伊藤博文は比較的「韓国皇室を存続させた保護統治」を志向していた人物でしたが、日本国内には韓国併合を主張する強硬論も強まっていました。その流れは3年後の1910年の 韓国併合 へ繋がっていきます。

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