(1907年7月9日、東京朝日新聞)(7月8日、京城発)
ハーグ密使事件について、韓国宮中の動揺は非常に激しかった。一昨日6日に開かれた御前会議では、2時間にわたり各大臣がこの件について上奏した。
韓国皇帝は当初、「自分は何も関係していない」「ハーグにいる者が偽の書簡を作ったのだろう」と弁明した。
しかし、李完用総理大臣以下の閣僚たちが次々と事実を示し、皇帝に反省を求めたため、皇帝もついに完全には否定できなくなった。そこで皇帝は、「この場は閣僚たちの力で事態を穏便に収めてほしい」と求めた。
閣僚たちは一度はその意向を受け入れたが、改めて協議した結果、「この問題はそもそも内閣が関与すべき性質のものではなく、責任は別のところにある。しかも事態は重大で、閣僚の努力だけでは解決できない」と意見が一致し、その旨を皇帝に伝えた。中でも農商工部大臣の宋秉畯は特に熱心に、日本に対する謝罪方法について進言した。
他の閣僚たちも口をそろえて、「陛下ご自身が適切な措置を取られることこそ、韓国のためになる」と再び奏上した。
こうして会議は終わったが、皇帝はその後も心痛を深めている様子であり、今後この事件がどのように決着するのか、大いに注目されている。
⚫︎ ハーグ密使事件とは
1907年、オランダ・ハーグで開かれていた第2回万国平和会議(第二回ハーグ平和会議)に、韓国皇帝・高宗(コジョン)が密かに特使を派遣した事件です。
目的は、日本による韓国支配の不当性を国際社会に訴え、韓国の独立保護を求めることでした。
しかし、1905年の第二次日韓協約により韓国の外交権は日本側が掌握していたため、各国は韓国使節を正式代表として認めませんでした。
⚫︎ 日本側の反応
当時の韓国統監は、初代韓国統監である伊藤博文でした。
日本政府・統監府は、この密使派遣を
- 日韓協約への違反
- 統監府への挑戦
- 韓国皇帝による「二重外交」
とみなし、極めて重大視しました。
この記事でも、韓国閣僚たちが「日本への謝罪」を論じていることから、韓国政府内部が日本の圧力を強く意識していたことが分かります。
⚫︎ 韓国政府内部の分裂
当時の韓国政府は大きく分裂していました。
①皇帝側
- 日本の支配強化を嫌い、列強外交で打開を試みる
- 密使派遣もその一環
②親日・現実派官僚
代表的人物は
- 李完用
- 宋秉畯
彼らは、
- 日本との対立回避
- 政権維持
- 国内秩序維持
を優先しました。
そのため、記事では閣僚たちが皇帝本人に責任を取るよう迫っています。
⚫︎ この事件の結果
ハーグ密使事件は、韓国皇帝・高宗の退位につながります。
1907年7月、日本側は高宗に強く圧力をかけ、皇帝は退位。
皇太子の純宗が即位しました。
さらに同年、
- 韓国軍解散
- 日本統制の強化
- 統監府権限拡大
が進み、1910年の日韓併合へ急速につながっていきます。
つまり、この事件は「韓国の外交的独立が完全に失われた転換点」ともいえる重要事件でした。
⚫︎ まとめ
この記事は、ハーグ密使事件直後の韓国宮廷内部の混乱を生々しく伝えています。
特に重要なのは、
- 皇帝が当初は関与を否定したこと
- 閣僚が皇帝に責任を迫ったこと
- 日本への謝罪論が出ていること
- 韓国政府内部が既に大きく分裂していたこと
です。
また、日本側新聞の報道であるため、
- 皇帝を「軽率」
- 閣僚を「現実的」
- 日本側を「秩序維持側」
として描く傾向も強く見られます。
そのため、史料として読む際には、「日本側メディアの視点」を意識する必要があります。


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