1907年07月06日 韓国皇帝の密使 ハーグの万国会議に現れて独立保護を哀訴す

1907年

(1907年7月6日・東京朝日新聞)(7月4日 京城発)
 以前、アメリカ人のハルバートが京城を去った頃から、「ハーグ会議に韓国代表を送るらしい」という噂は存在していた。そして今回、韓国から派遣された使節が第二回ハーグ平和会議に現れ、韓国独立の保護を訴えたという報道が、7月3日に当地へ伝わり、人々は改めて驚いている。
 事件そのものは、一種の喜劇に過ぎないとも言えるが、その動機や背後関係については注意する価値がある。この報道は当然、韓国皇室にも伝わったようだが、皇室がどの程度衝撃を受けたかはまだ不明である。
 統監府では以前から、このアメリカ人(ハルバート)の動きに注意しており、日本側のハーグ会議代表にも事前に知らせていたという。ハーグで活動した韓国人は3名であった。伊藤博文は、この件についてまだ正式な抗議や警告は行っていないが、事態を重大視している。
 また、ヨーロッパのある大国は、韓国側のこの「小さな陰謀」に対して特に関心を払うつもりはないと、日本側に伝えてきたという。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/165

写真・図引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ハーグ密使事件#/media/ファイル:Hague_Secret_Emissary_Affair.jpg

⚫︎ これは「ハーグ密使事件」の第一報

この記事は「ハーグ密使事件」を報じたものです。

これは大韓帝国が最後に試みた国際外交戦でした。

⚫︎ なぜ密使を送ったのか

背景には第二次日韓協約があります。

この協約で、

  • 日本が韓国外交権を掌握
  • 統監府設置
  • 韓国は保護国化

しました。

⚫︎ 高宗の反撃

しかし、高宗はこれを認めていませんでした。

そこで、国際社会へ直接訴えることを決意します。

⚫︎ 密使とは誰か

実際に派遣されたのは、

  • 李儁(イジュン)
  • 李相卨(イサンソル)
  • 李瑋鍾(イウィジョン)

という元政府高官や外交官らです。

彼らはハーグで、

  • 日本支配の不当性
  • 韓国独立
  • 条約無効

を訴えようとしました。

⚫︎ ハルバートの役割

記事中の「米人ハーバート」は、ホーマー・ハルバートです。

彼は、

  • 朝鮮独立支持者
  • 高宗の協力者
  • 国際世論工作担当

でした。

当時の日本側は「外国人が韓国問題へ介入している」と警戒していました。

⚫︎ なぜ失敗したのか

最大の理由は、日本が既に列強承認を得ていたことです。

日露戦争後、

  • イギリス
  • アメリカ
  • ロシア

など主要国は、日本の韓国支配を事実上容認していました。

⚫︎ 新聞記事の「喜劇」という表現

この記事は非常に重要です。

日本側新聞は、一種の喜劇と書いています。

これは、

  • 韓国の外交力を軽視
  • 「無意味な抵抗」と見る
  • 日本優位を当然視

する当時の帝国的視点を示しています。

⚫︎ この事件の結果

①高宗退位

日本政府はこれを協約違反とし、韓国の内政全権を掌握する方針を閣議決定。

伊藤統監と李完用内閣は高宗に譲位を迫り、1907年7月、高宗は退位。

②韓国軍解散

さらに韓国軍解散が実施されます。

③義兵戦争激化

解散軍人や愛国派は、

  • 武装蜂起
  • 義兵闘争

へ進みます。

つまり、「外交敗北 → 武装抵抗」へ転換した。

⚫︎ 国際政治的意味

この事件は「弱小国は国際法だけでは守られない」という現実を示しました。

ハーグ会議は、

  • 平和
  • 国際法
  • 主権尊重

を掲げながら、実際には列強の力関係が優先されたのです。

⚫︎ まとめ

  • 大韓帝国がハーグへ密使を派遣
  • 日本の保護国化の不当性を訴えた
  • 背後には高宗とハルバートの外交工作
  • しかし列強は日本支配を容認
  • 日本側新聞は事件を軽視・嘲笑的に報道
  • 結果として高宗退位・韓国軍解散へ進む

この事件は、「大韓帝国最後の国際外交抵抗」として極めて重要です。

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