(1907年5月9日 東京朝日新聞)(5月7日付タイムス社・パリ発電)
フランスの外務大臣ピション氏は、代議院(国会)において次のように述べた。
極東における領土の現状維持を目的とする日仏協商は、これまでフランスが採ってきた絶対的平和主義の論理的な延長である。
フランスの目的は、ただ一つ、紛争を未然に防ぐことにある。
⚫︎ 日仏協商とは何か
この記事が扱う日仏協商は、1907年に日本とフランスの間で結ばれた外交協定で、主に東アジア(極東)における勢力圏の現状維持を確認するものでした。
当時のフランスは:
- 仏領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)を支配
- 東アジアに植民地を持つ列強の一つ
でした。
⚫︎ 日露戦争後の国際秩序
背景には日露戦争後の国際情勢があります。
この戦争によって:
- 日本 → 朝鮮・南満州で影響力拡大
- ロシア → 後退
- 列強 → 力関係の再調整
が起こりました。
その結果、列強各国は互いの勢力圏を認め合い、衝突を避ける外交を進めるようになります。
⚫︎ フランスの立場:「平和主義」の意味
記事で言う「平和主義」は、現代的な理想主義ではなく、「既得権益を守るための現状維持外交」を意味します。
フランスの狙いは:
- インドシナの安定維持
- 日本との衝突回避
- ロシアとの同盟関係維持(仏露同盟)
つまり、戦争を避けつつ、植民地を守る現実的外交でした。
⚫︎ なぜ日本と協力したのか
フランスにとって日本は:
- 日露戦争で勝利した新興強国
- 東アジアで無視できない存在
でした。
そのため、「対立するより、認めて共存した方が得」という判断になります。
⚫︎ 「協商外交」の時代
この時期の世界は:
- 英仏協商
- 英露協商
など、「協商(ゆるやかな合意)」が広がる時代でした。
これは後の三国協商(英・仏・露)へとつながります。
⚫︎ まとめ
- 日仏協商は「極東の現状維持」を目的とした外交合意
- フランスは平和主義=現状維持外交を掲げた
- 背景には日露戦争後の勢力再編
- 列強は衝突回避のため相互承認へ
- 日本は列強の一員として認められつつあった
これは「日本が国際秩序の一角に組み込まれた」重要な外交的転換点といえます。

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