(1906年12月4日 報知新聞)
「世界病」とも呼ばれながら、いまだその病原菌が発見されていなかったトラホームについては、西洋の大医学者コッホ氏をはじめ、十数名の名医たちが熱心に研究を重ねてきたが、ついにその原因となる微生物を発見することはできなかった。
ところがこのたび、元・伝染病研究所の技手で、現在は三田医院長である奥田伸氏と、遠藤芳蔵氏が、熱心な研究を重ねた結果、ついにトラホーム菌を発見するに至った。
そして去る27日、国家医学会の席上においてこれを報告し、諸医学者の批判と検討を求めたのである。
この記事は、明治期日本医学の国際水準への到達を示す出来事を報じたものです。
◾️ トラホームとは何か
トラホーム(trachoma)は、慢性的な結膜炎を引き起こす感染症で、進行すると失明に至ることもある重い眼病です。当時は日本だけでなく、アジア・中東・ヨーロッパなど世界各地で流行しており、「世界病」と呼ばれていました。
特に日本では、
- 兵士
- 学童
- 農村部の住民
に多く見られ、公衆衛生・軍事医学の両面で重大な問題でした。
◾️ 病原菌発見競争の時代
19世紀後半から20世紀初頭は、
- 結核菌(コッホ)
- コレラ菌
- ペスト菌
などが相次いで発見された「細菌学の黄金時代」でした。
トラホームについても、ローベルト・コッホをはじめとする欧米の医学者が病原体探索に取り組みましたが、当時の技術では原因の特定が非常に困難でした。
記事中の「徴菌」とは、病気の原因となる微小な菌(病原微生物)を意味します。
◾️ 日本人医学者による発見の意義
奥田伸と遠藤芳蔵は、伝染病研究所(北里柴三郎が中心となって設立)で培われた最新の細菌学的手法を背景に研究を行いました。日本人研究者が、欧米の第一線の医学者でも未解決だった問題に挑んだ点が、当時としては非常に画期的でした。
ただし、記事にあるように、彼らは「諸大医の批判を乞ひき」としており、学会での検証・再現性の確認が不可欠であるという近代科学の姿勢も示されています。
◾️ 後世から見た位置づけ
現在では、トラホームの病原体はクラミジア・トラコマティスという細菌様微生物であることが分かっています。明治期の「トラホーム菌」発見報告の多くは、今日の知見から見ると完全な特定には至っていなかった場合もありますが、
- 病原体の存在を前提に研究を進めたこと
- 日本の医学が国際的研究競争に参加していたこと
自体が、近代医学史上重要な意味を持っています。
◾️ まとめ
この記事は、
- トラホームという世界的難病への挑戦
- 日本人医学者が細菌学研究の最前線に立ったこと
- 明治日本の医学・公衆衛生の成熟
を象徴する報道です。
科学的成果と同時に、「学会での批判に委ねる」という近代科学の態度を伝える点でも、時代をよく表した記事と言えます。

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