1906年11月28日 乗合自動車が各地に広がる

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.175

(1906年11月28日 東京朝日新聞)
 乗合自動車は、すでに大阪・奈良・静岡・丸亀で営業を開始しており、そのほか全国各地でも営業を計画している場所が二十数か所にのぼるという。
豊橋市でも、遠藤長三郎、久野笹吉、平松市蔵らによって計画が進められており、現在は株主を募集している段階である。

この記事は、日本における自動車交通の黎明期を伝えるものです。

◾️ 乗合自動車とは何か

ここでいう「乗合自動車」とは、現在の路線バスや乗合バスの原型にあたるものです。一定の区間を走り、複数の乗客を料金を取って運ぶ自動車営業を指します。

1906(明治39)年当時、自動車はまだ非常に新しい交通手段であり、鉄道や馬車、駕籠(かご)などが主流でした。そうした中で、鉄道の補完や都市・郊外間の移動手段として、乗合自動車が注目され始めていました。

◾️ 全国的な広がり

記事によれば、すでに大阪・奈良・静岡・丸亀で営業が始まり、さらに全国で20か所以上が計画中とされています。これは、地方都市でも自動車交通の実用性が認識され始めたことを示しています。

特に鉄道網が未整備な地域や、駅から市街地・観光地への連絡手段として、乗合自動車は有効でした。

◾️ 民間主導・会社設立型の事業

豊橋市の例から分かるように、乗合自動車事業は地元の有力者が発起人となり、株式会社を設立して運営する形が一般的でした。「株主募集中」とあるのは、設備(自動車購入・整備)や運転手の確保に多額の資金が必要だったためです。

◾️ 時代背景との関係

1906年は日露戦争終結直後で、日本社会全体が

  • 産業近代化
  • 都市化の進展
  • 新技術(自動車・電気・通信)への関心の高まり

といった流れの中にありました。自動車も「文明の象徴」として受け止められ、新聞が積極的にその動向を報じていたのです。

◾️ まとめ

この記事は、

  • 日本で乗合自動車(バス)が誕生・普及し始めた初期段階
  • 鉄道中心だった交通体系が、多様化し始めた転換点

を示す貴重な記録と言えます。のちに全国に広がるバス交通網の「芽生え」を伝える記事です。

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