1906年08月01日 日米間直通電信、本日より開始

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.125

(1906年8月1日、萬朝報)
 日米間の直通電信は、いよいよ本日から開始されることになった。従来の日米間電報は、長崎・上海・香港・マニラ・グアム・ミッドウェー・ホノルル・サンフランシスコという八つの中継所を経由しなければならなかったが、今回の直通電信では、グアム・ミッドウェー・ホノルル・サンフランシスコの四つの中継所を通るだけで済む。そのため、通信に要する時間はおよそ半分に短縮されるだけでなく、料金についても、グアム・ホノルル・ミッドウェーの各区間では、従来よりも大幅な値下げが行われた。
 この直通電信は、午前六時から午後十時までの間、江戸橋郵便局で取り扱われることになっており、時間外の至急電報については、他の電報と同様に通常料金の三倍が徴収されるという。
(料金表は省略)

◾️ 日米通信の技術的進展

 この記事は、1906年(明治39年)に開始された日米間の直通海底電信ルートについて報じたものです。
それまで日本とアメリカの間の電信通信は、欧米列強の支配下にあった中国・東南アジアの電信網を多数経由しており、時間も費用もかかっていました。
 今回の「直通電信」は、太平洋横断ルートを中心とした再編によって、中継地点を大幅に削減し、日本とアメリカ本土をより迅速・安定的につなぐものでした。

◾️ 日露戦争後の国際的地位向上

 1905年の日露戦争勝利後、日本は国際社会で「列強の一員」としての地位を確立しつつありました。
 この直通電信の開始は、
  ・外交交渉の迅速化
  ・貿易・金融情報の即時伝達
  ・在米日本人社会との連絡強化
といった面で、日本の実質的な国際通信能力の向上を象徴する出来事でした。

◾️ アメリカとの関係強化

 当時のアメリカは、フィリピン統治や太平洋進出を進めており、日本とアメリカは太平洋を挟んだ重要なパートナーになりつつありました。グアム、ミッドウェー、ホノルルといった中継地が示す通り、この電信網はアメリカの太平洋支配と日本の通信網が接続された結果でもあります。

◾️ 郵便局が通信の中核だった時代

 記事にある「江戸橋郵便局」は、当時の東京における重要な電信拠点でした。この時代、電信・電話・郵便はすべて国家管理であり、電信は最先端の国家インフラでした。「至急電報が三倍料金」という記述からも、電信が依然として高価で、主に政府・新聞社・商社などが利用する通信手段だったことが分かります。

◾️ まとめ

 この短い記事は、
  ・日本の通信技術の進歩
  ・日露戦争後の国際的自立
  ・日米関係の深化
  ・国家インフラとしての電信の重要性
を端的に示す、明治後期日本の「近代化の完成期」を象徴するニュースと言えます。

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