1906年06月10日 亜細亜学会

教育・文化

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.104

(1906年6月10日 読売新聞)
 白鳥博士らが発起人となって設立したこの学会は、昨年に二度ほど会合を開いて協議したものの、その後しばらく集まりを見合わせていたが、来る14日の午後6時より、大学構内の山上御殿において第三回の会合を開くことになった。
 なお、委員たちが定めた同会の会則によれば、この学会はアジアに関するさまざまな事項を学術的に研究することを目的とし、隔月に一度、定会(例会)を開くこととしている。

◾️ 「白鳥博士」とは誰か

 ここで言及されている白鳥博士とは、歴史学者・東洋史学者として著名な白鳥庫吉(しらとり くらきち)を指します。
 白鳥庫吉は、
  ・東京帝国大学教授
  ・日本における近代東洋史学(アジア史研究)の確立者の一人
として知られ、文献学・歴史学を基礎に、中国史・中央アジア史・満洲史などを研究しました。

◾️ 亜細亜学会設立の時代背景

 1906(明治39)年は、日露戦争直後にあたります。日本は朝鮮半島・満洲をめぐってロシアに勝利し、アジアにおける国際的影響力を急速に拡大していました。
 この時代、
  ・日本が「アジアをどう理解し、どう関与するか」
  ・欧米列強に対抗するための「アジア認識」
が、学問・政治の両面で重要な課題となっていました。

◾️ 学術研究と国家戦略の接点

 「亜細亜に関する諸般の事項を学術的に研究する」という目的は、純粋な学問研究を掲げながらも、
  ・中国・朝鮮・満洲・中央アジアに関する知識の体系化
  ・外交・植民地経営・対外政策への知的基盤提供
という実践的・国家的要請と密接に結びついていました。

 当時の日本では、東洋史学・地理学・民族学などが、「アジアを知ることは、日本の進路を定めること」と考えられており、学会の活動もその流れの中にありました。

◾️ 学会活動の特徴

  ・隔月開催:定期的・継続的な研究交流を志向
  ・大学構内での開催:東京帝国大学を中心とした学術ネットワーク
  ・少人数・精鋭型:発起人・委員による主導的研究会
といった点から、この学会は、後の東洋史学会・アジア研究団体の先駆的存在といえます。

◾️ まとめ

 この記事は、日露戦争後、日本が「アジア研究」を国家的課題として本格化させる中で生まれた学術団体の動きを伝えるものです。

 白鳥庫吉を中心とする知識人たちが、学問を通じてアジア理解を深めようとした姿勢は、同時代の日本の対外意識と深く結びついていました。

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