(2月26日・東京朝日新聞)
上野の山の奥で、緑の木々と桜のつぼみが入り交じり、春の景色が見えはじめ、まさにのどかな霞に包まれようとしているあたりに、白い壁の大きな建物が堂々と姿を現した。かねてより建築工事が続けられていた帝国図書館がついに落成したのである。場所は東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)の東隣で、道を隔てて南側には美術学校(現・東京藝術大学美術学部)が向かい合っており、実に壮観である。
今回完成した図書館は、将来の全体計画のうちの一部分(建物右側)にすぎず、おそらく全体の4分の1にも満たないものである。全体の設計は工学士・真水英夫氏が、わざわざアメリカへ視察出張して研究した結果まとめられたもので、極めて大規模な計画となっている。
記事の指す建物
この記事が報じるのは、帝国図書館(現在の国立国会図書館国際子ども図書館)の落成についてで、場所は現在の 東京都台東区上野公園内 です。帝国図書館は、明治国家における国家知識基盤の中心施設として位置づけられ、後に日本最大級の図書館として機能します。
時代背景と目的
明治後期の日本は、
• 富国強兵
• 殖産興業
• 学術研究の充実
• 国民教育の推進
を国家方針として掲げ、大学・図書館・博物館を含む文化的インフラの充実を急速に進めていました。
上野はすでに博物館、動物園、音楽・美術教育機関が集まる 文化集積地区 となりつつあり、帝国図書館の建設はその象徴的政策でした。
「東洋一」への意識
記事の見出しにある「東洋一」は、当時しばしば用いられた表現で、
• 西欧列強に追いつく
• アジアの文化拠点として主導的役割を担う
という国家的意識が反映されています。
実際、設計者の真水英夫はアメリカの最新図書館建築を視察しており、近代的図書館理念を取り入れた日本初の本格的大規模図書館でした。
完成が「4分の1」に過ぎなかった理由
当時の帝国図書館計画は非常に大規模で、予算・施工期間・行政調整の面で一度に完成させることが困難であったため、段階的建設が採用されました。最終的に計画通りの規模は実現しませんでしたが、建物は後に増築を経て、日本を代表する図書館施設として機能しました。


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