1906年05月01日 記念スタンプ 死物狂ひ

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.84

写真引用:https://www.freestampcatalogue.com/sjao0092-parade-for-victory-in-war-with-russia-2v?utm_source=chatgpt.com

(1906年5月1日 東京朝日新聞)
 空前の規模で行われた大観兵式を、長く記念として残そうと、一昨日には各郵便局の前での混雑をものともせず、まるで命がけのような狂乱状態になって、逓信省発行の記念切手や絵はがきを買い求めた人々がいた。
 そして昨日は、今度はそれらに記念スタンプを押してもらおうとして、再び大勢の人が各郵便局へ押しかけた。どこの郵便局も夜明け前から人が山のように集まり、その混雑ぶりは言葉では言い表せないほどであった。
 警察官はそれぞれ配置について出動し、まず群がる男女を抑えて混雑の整理にあたった。下谷郵便局では縦一列に並ばせて順番に局内へ入らせ、本郷郵便局では一団ずつ順に入場させる措置をとったが、それでも入場の際には押し合いへし合いとなり、巡査の制止の声も耳に入らない有様であった。
 そこで浅草郵便局のように、万一の事故が起こることを恐れ、当局では記念切手や記念絵はがきには特別な押印はしない、という張り紙を出し、消印以外の捺印を断固として拒否したという。

◾️ 大観兵式と「記念スタンプ」ブーム

 1906(明治39)年4月、日露戦争の勝利を記念して、東京で大観兵式が挙行されました。これは明治日本において前例のない規模の軍事パレードであり、国家的祝賀行事でした。
 これを記念して逓信省は、
  ・記念切手
  ・記念絵はがき
を発行し、さらに郵便局では特別な記念スタンプ(装飾的な押印)を用意しました。

◾️ 「死物狂ひ」と表現される群衆心理

 当時の人々にとって、
  ・国家の勝利
  ・皇室主催行事
  ・限定発行の記念物
は非常に価値が高く、「今逃せば二度と手に入らない」という意識が強く働きました。その結果、新聞が「死物狂ひ(しものぐるい)」と表現するほどの、我を忘れた行動が各地で見られました。

◾️ 郵便局・警察の対応

 混雑が常軌を逸したため、
  ・警察官が出動
  ・縦列・団体ごとの入場制限
  ・特別押印の中止(浅草局)
といった、現在で言う群衆事故対策がとられました。これは、当時すでに都市部で群衆管理が重要な行政課題になっていたことを示しています。

◾️ 記事のトーン

 この記事は単なる事実報道ではなく、
  ・「死物狂ひ」
  ・「名状すべからず」
といった強い表現を用い、国民の過度な熱狂を皮肉・批判的に描写しています。東京朝日新聞らしい、冷静でやや啓蒙的な視点がうかがえる記事と言えるでしょう。

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