(1906年4月27日・都新聞)(25日ソウル発)
閔后(みんこう)および各大臣の夫人たちの発起によって、貴族女学校が設立されることとなり、現在、8歳以上15歳以下の生徒を募集している。
◾️ 「閔后」とは誰か
記事に出てくる 閔后(閔妃) は、朝鮮王朝・高宗(コジョン)の王妃で、日本では「閔妃(みんぴ)」と呼ばれる人物です。
・本名:閔氏
・日本側文献では「閔后」と表記されることが多い
・1895年、王宮内で殺害された(乙未事変)
ただし、1895年にすでに亡くなっているため、この記事(1906年)で言う「閔后」は、
・閔氏一族の王妃の名義・威光
・あるいは「閔后ゆかりの女官・王族女性層」
を象徴的に用いた表現である可能性が高いと考えられます。
※日本の新聞では、朝鮮王室や王妃に関する呼称が必ずしも厳密でない場合がありました。
◾️ 時代背景:統監府設置直後の朝鮮
1905年(明治38年)
・日韓協約(第二次日韓協約)締結
・大韓帝国は外交権を失い、日本の保護国となる
・1906年、京城に 統監府 設置(初代統監:伊藤博文)
この記事は、まさに 日本の保護国体制が始まった直後 の朝鮮の様子を伝えています。
◾️ 貴族女学校設立の意味
この「貴族女学校」は、
・王族・貴族階級の女子
・将来、近代国家を支える上流女性層
を対象にした学校です。
目的としては、
・女子教育の近代化
・西洋式・日本式教育の導入
・上流女性の教養向上
といった名目がありました。
日本側から見れば、
・朝鮮上流階級に近代教育を施す
・日本の影響下で新しい価値観を浸透させる
という「文明化政策」の一環でもありました。
◾️ 女性教育が注目された理由
19世紀末〜20世紀初頭は、日本でも「良妻賢母」思想のもとで女子教育が制度化されていた時代です。
朝鮮でも、
・王族・貴族女性が教育を受ける
・外交・宮廷・家庭で近代的役割を果たす
ことが期待され、女子教育は国家近代化の象徴と見なされていました。
◾️ 新聞記事の性格
この記事は非常に短いですが、
・「閔后および大臣夫人」という権威ある名義
・京城発の通信
・女子教育という近代的テーマ
を組み合わせることで、「日本の保護下で、朝鮮も文明化・近代化が進んでいる」という印象を日本の読者に与える意図が読み取れます。
■ まとめ
この記事は、統監府設置直後の朝鮮で、王族・貴族層による女子教育機関が設立されつつあることを伝える短報です。
背景には、
・日本の保護国支配の開始
・朝鮮上流階級の再編
・近代国家にふさわしい女子教育の導入
という政治的・社会的文脈があります。


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