(1906年3月18日・東京朝日新聞)
京都・大阪・神戸の三府および滋賀県の有志によって発起された宇治川水力電気株式会社は、明治29年に初めて設立を出願し、明治35年2月に各派が合同して改めて出願していたが、このたび一昨16日付で設立が認可された。
資本金は1,250万円。琵琶湖から流れ出る宇治川の水を利用し、400万馬力 の電力を発生させる計画であり、水力発電としては日本最大規模のものである。
■ 宇治川水力電気とは?
この記事が扱う「宇治川水力電気株式会社」は、のちに作られる 天ヶ瀬ダム(宇治川の大水力) や
関西地方の電力発展 の源流にあたる計画で、明治期の関西電力史の重要な前段に位置します。
当時の電力は主に
- 石炭火力
- 小規模水力
に頼っており、宇治川のような 大規模・近代的な水力発電 はまだ存在していませんでした。
■ なぜ宇治川が注目されたのか?
◇ 琵琶湖からの豊富な流量
- 宇治川は琵琶湖唯一の流出口
- 年間を通じて安定した流量
- 発電に非常に向いていた
◇ 大都市圏への近さ
- 京都・大阪・神戸といった人口集積地に近い
- 工業需要が急増していたため、発電ビジネスの採算が取りやすい
このため、関西工業化の切り札 として注目されていた。
■ 「400万馬力」はどういう意味?
当時の新聞はしばしば誇張した表現を用いており、実際に400万馬力(約3ギガワット)という超巨大施設がそのまま実現したわけではありません。
しかし、
- 琵琶湖流量
- 宇治川の落差
- 発電所の段階的建設
などから見て「理論的に発生し得る総電力」を示した数字であり、日本の水力開発が世界的規模になり得るという象徴的な表現だったと考えられます。
■ この記事の時代背景
① 明治後期の「第一次電力ブーム」
1900年代初頭の日本では近代産業(紡績・鉄鋼・化学)の発展に伴い、大量の動力=電力が必要となっていた。
- 火力発電だけでは高コスト
- 水力は“国産エネルギー”として期待
このため全国で水力開発計画が競って立ち上がった。宇治川計画も、その代表例である。
② 地方財界の連携
記事にある「京都・大阪・神戸・滋賀の有志」とは、関西の財界人(実業家)たちの連合を指す。
- 大阪商業会議所
- 京都の実業家(西陣・繊維業)
- 神戸の貿易商
- 滋賀の地主層
などが、電力開発の資金と政治力を支えた。
③ 近代電力会社の成立期
この計画の流れはのちに
- 早川電気(関電の源流)
- 京都電燈
- 大阪電燈
など多数の電力企業を育み、戦後の関西電力の基礎につながる。1906年のこの認可記事は、
関西電力史の幕開けとも言える。
<まとめ>
この記事は、琵琶湖から流れる宇治川を利用した、日本最大級の水力発電計画が政府から正式に認可されたというニュースを報じている。
背景には
- 明治後期の急速な工業化
- 関西経済界によるエネルギー確保の要請
- 大規模水力開発への国家的期待
がある。


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