(1906年3月2日・報知新聞)
河野広中氏らの被告事件において、警視庁が吉澤不二雄という密偵(スパイ)を使って、事実でない内容を供述させたという点は、世間を大いに驚かせている。しかし、ある人物の話によれば、警視庁がこうした密偵を用いたのは今回が初めてではなく、すでに同じく河野氏が関わったいわゆる「福島事件」の際にも同様の手法が行われていたという。
当時、被告人の一人に安積戦(あさか・いくさ)という人物がいたが、彼は仲間にとって非常に不利な供述をしただけでなく、その内容は根拠のないもの、あるいは無理にこじつけたようなものばかりであったため、同志たちは「安積は警視庁に買収されたのではないか」とひそかに疑っていた。
しかも安積は、夜になると人目を避けて召喚され、長時間どこかへ連れて行かれていたが、実はそれは遊郭に連れて行き、歓楽を与えるためであったことが、同志の耳にも入っていた。そのため、皆は深く憤慨していた。その後、安積は証拠不十分として釈放され、その所在も分からなくなった。そのため、安積による不利な供述があったにもかかわらず、法廷に出廷させて事実を明らかにすることができなかったという。
なんとも恐るべきことである。もしこれが事実であるならば、堂々たる警視庁が、まさに伏魔殿(不正と陰謀の巣窟)であったということになる。原内相(原敬)は果たして、その言葉通りにこのような積年の悪弊を改革することができるのであろうか。
● 記事が指す事件
この記事が取り上げているのは、政治家 河野広中(1849–1923) に関わる事件で、特にその中で問題となったのが 警察による「自白工作」「密偵利用」「冤罪疑惑」 をめぐる社会批判です。
本文中には「福島事件」が言及されていますが、これは 1882年(明治15年)に福島県で発生した自由民権運動指導者の弾圧事件で、司法手続きの不正・過酷な取り調べ・密告の奨励などが、当時から批判対象となっていました。
● 警察批判の文脈
この記事が示す社会的問題点は次の通りです。
1. 密偵を利用した虚偽供述の誘導
2. 司法・警察の証拠捏造疑惑
3. 倫理に反する利益供与(遊郭接待)
4. 政治弾圧としての捜査利用
5. 近代司法制度の未成熟性
この記事は、警視庁の捜査体制そのものが腐敗しているのではないか、という世論の危機感を表しています。
● なぜ1906年に再び問題化したのか
1906年当時、日本はすでに近代法体系を整備していたものの、実務面では 政治的意図の介入、密偵制度の濫用、拷問的取調べの残存 など、旧制度の影響が根強く残っていました。さらに、政府は社会主義・労働運動・自由民権運動を警戒しており、公安的捜査手法が強まる傾向がありました。そのため、本記事は 国家権力の監視と司法の公正性 を強く訴える論調を持ちます。
● 「伏魔殿」という表現の意味
「伏魔殿」は『西遊記』に登場する悪魔の巣窟を意味し、ここでは表向きは秩序の番人である警察が、実は暗黒権力化しているという強烈な告発的レトリックです。



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