(1906年1月23日、國民新聞)
清国の出洋大臣であり、皇族の載澤(さいたく)殿下ご一行は、予定通り1月22日午前9時50分に新橋駅に到着された。殿下の随行者は、随員8名、護衛2名、従者7名のほか、同国公使の楊樞(よう・すう)、日本側からは鍋島式部官、森大佐らが同行した。
宮内省からは、丹羽式部官が出迎えに出張しており、さらに花房宮内次官、珍田外務次官、東郷軍令部長(東郷平八郎)、伊集院軍令部次長、千家東京府知事、尾崎東京市長、渡辺助役、安楽警視総監など、各界の高官が出迎えた。殿下は楊公使の紹介により、一人ひとりと名刺を交わされ、丁寧に会釈された。
殿下の服装は、上には無紋の黄色の袍(ほう)をまとい、下には淡い水色の地に金糸の丸龍文様を織り出した見事な袴を穿かれていた。また金縁の眼鏡をかけ、背が高く、清らかで上品な貴公子の風貌であった。
清国人の出迎えは、公使館員、商館主、留学生など数百名にのぼり、皆が官帽をかぶり、洋装の礼服に身を包んでいたため、その光景はきわめて華やかで、美しい眺めであった。また、清国人社会の有力者である袁子壯氏(えん・しそう、在日清国人指導者)もその場にいて、さまざまな手配・調整に奔走していた。
殿下は駅前の車寄せにて、宮内省が用意した馬車に乗られ、丹羽式部官が同乗。続いて楊公使ら随員の主立った者たちが、3台の馬車に分乗して芝離宮(東京・浜離宮)へ向かった。当日、出迎えた主な人物は、前述の官吏のほか、同仁会長・大隈伯(大隈重信)の代理として山田烈盛氏、および五、六十名の実業家・名士たちであった。駅前広場には、殿下ご一行の東京入りを一目見ようと、数百名の見物人が集まり、たいへんな賑わいであった。
清国皇族「載澤(さいたく)親王」とは
載澤(Prince Zaize, 1880–1940)は、清朝・愛新覚羅家の皇族であり、光緒帝のいとこにあたります。当時まだ20代半ばでしたが、聡明で欧化的な人物とされ、清国の「出洋考察団(世界視察団)」の首席代表(出洋大臣)に任命されました。
この「出洋大臣」とは、清国政府が西洋の制度を視察し、自国の立憲政治導入の参考とするために派遣した改革派の特命使節です。
「出洋大臣」派遣の目的
日露戦争後の1905年、清国では日本の勝利を目の当たりにして、「アジアでも立憲政治と近代軍制を整えれば欧米に伍せる」という認識が広がりました。これを受けて、清政府(実権者・西太后)は1905年11月、皇族・載澤を団長とする出洋考察団(出洋視察団)を欧米各国へ派遣しました。その最初の訪問国が日本でした。
日本訪問の意義
清国にとって日本は、
• 同じアジアの「近代化成功国」
• 欧米列強と同盟(日英同盟)を結ぶ強国
であり、最も参考にすべき模範国家と見なされていました。そのため、視察団はまず日本に立ち寄り、日本の立憲制度・議会・軍隊・教育制度を学ぶことを目的としていました。載澤親王は天皇への謁見(参内)を予定しており、この新聞記事はその入京(東京入り)の報道です。
日本側の対応:総力を挙げた歓迎
記事に登場する顔ぶれを見れば、日本政府がこの訪問を極めて重視していたことが分かります。
出迎えた要人には:
• 外務次官 珍田捨巳(のち駐米大使)
• 海軍軍令部長 東郷平八郎
• 同次長 伊集院五郎
• 宮内次官 花房義質
• 東京市長 尾崎行雄
など、明治政府の外交・軍事の中枢人物が勢ぞろいしています。つまり、この訪問は単なる親善訪問ではなく、清国の近代化を支援しつつ、日本の影響力を拡大する外交儀礼として位置づけられていたのです。
載澤親王の印象と象徴性
記事の記述には、記者の明確な「驚きと尊敬」が感じられます。「長身清癯、一見貴公子の風采あり」、「金縁眼鏡をかけ…貴族的な風貌」、当時の清国に対する日本人の印象は、「旧弊で遅れた国」というものでした。しかし皇族が洋装と知的な風貌で来日したことは、「清国もいよいよ文明開化を志すのか」と日本世論に強い印象を与えました。
その後の経過
• 載澤親王はこの後、明治天皇に拝謁し、宮中参内します(1月26日)。
• 東京では帝国議会や陸海軍施設を視察。
• その後、欧米諸国(英・仏・独・米)へ出発。
視察の成果として、清国では1908年に「憲法大綱」公布、1911年に辛亥革命が起こるまで、立憲君主制への改革が進められるきっかけとなりました。
歴史的意義
| 観点 | 内容 |
| 日本にとって | 日露戦勝後、清国に「文明国・兄貴分」として接する立場を確立 |
| 清国にとって | 明治日本を模範とする近代化・立憲制度導入の第一歩 |
| 東アジア史上の意義 | 日清戦争(1894)から日露戦争(1905)を経て、日本が「東アジアのモデル国家」として清国に影響を与えた節目 |
| 記事の象徴 | 東アジアの外交秩序が「清朝中心」から「日本主導」に移行した時代の象徴的場面 |


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