(1907年6月29日 東京朝日新聞)(6月28日 タイムス社電・ハーグ発)
第二回ハーグ平和会議で議論されている「国際捕獲審検所(海戦時の拿捕裁判所)」設置に関するドイツの提案について、世界各国の海軍関係者の間でさまざまな異論が出ている。
その概要は、まず交戦国がそれぞれ1名の提督を選び、次に常設仲裁裁判所の裁判官を選定する中立国を指定し、さらに第三の中立国が仲裁裁判所の判事の中から捕獲審検所の委員を選ぶという複雑な制度である。この選定方法に対する批判の中心は、ドイツ案では結局、裁判官が交戦国、またはその友好国、あるいは友好国の友好国から選ばれることになり、公平性が保てないという点にあった。これに対し、イギリスは、交戦国と直接・間接に関係を持つ代表を排除し、公正な裁定を保証すべきだと主張した。
一方、日本は、一定期間が過ぎれば自然に爆発力を失う浮遊機雷(水雷)を、一定海域に設置することを認める案を提出する模様である。
◾️ 第二回ハーグ平和会議とは
この会議は、ハーグで開催された国際会議です。
目的は:
- 戦争ルールの整備
- 仲裁制度の強化
- 海戦法規の整理
「戦争を完全に無くす」よりも、戦争を“管理”する国際法づくりでした。
◾️ なぜ海戦ルールが問題になったか
背景には日露戦争があります。
この戦争で:
- 機雷
- 通商破壊
- 捕獲船問題
が大問題化しました。
◾️ 捕獲審検所とは
海戦では:
- 商船を拿捕
- 積荷没収
が行われます。
そこで、「合法かどうか」を裁く国際機関を作ろうという構想でした。
◾️ドイツとイギリスの対立
ドイツ
- 海軍拡張中
- 英国に対抗
→柔軟な制度を希望
イギリス
- 世界最大海軍
- 海上貿易国家
→中立・公正性を重視
◾️日本提案の意味
日本の提案は、「一定時間後に無力化する機雷」
つまり:
- 漂流し続ける危険を減少
- 民間船被害を抑制
であり、かなり先進的な提案といえます。
◾️ 日本外交の変化
明治初期:
- 条約改正を求める立場
1907年:
- 国際法形成に参加
→日本が「列強の仲間入り」
◾️ハーグ体制の限界
しかし:
- 第一次世界大戦で大量破壊戦争
- 機雷・潜水艦戦の拡大
→理想は崩壊
それでも、現代国際法の原型といえます。
まとめ
- 第二回ハーグ平和会議で海戦法規を議論
- ドイツ案の公平性に批判
- イギリスは中立性を重視
- 日本は安全機雷案を提案
- 日本が国際法形成へ参加し始めた時代
「近代日本外交が“受け身”から“提案型”へ変化した象徴」


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