(1906年10月23日、国民新聞)
これまで京城(現在のソウル)で、日本人の手によって発行されてきた韓文新聞「大韓日報」は、事業規模を拡大し、10月14日発行の第709号から日本語新聞へと改刊した。改刊当日は、10ページの付録を添えて発行された。
この記事は、韓国(大韓帝国)における日本人主導の新聞が、日本語新聞へ転換したことを伝えています。その背景には、1906年当時の朝鮮半島をめぐる政治・社会状況があります。
◾️ 日露戦争後の韓国支配強化
1905年の日露戦争後、日本はロシアの影響力を排除し、韓国に対する支配的立場を確立しました。同年11月には第二次日韓協約(乙巳条約)が結ばれ、韓国は日本の保護国となり、統監府が設置されます。
1906年は、日本が韓国統治を本格的に制度化し始めた年にあたります。
◾️ 在韓邦人社会と新聞の役割
京城には、
- 官吏
- 軍関係者
- 商人・実業家
など多くの日本人(在韓邦人)が居住していました。
彼らに向けて、日本語による情報提供や世論形成を行う新聞の需要が急速に高まっていました。
◾️ 「大韓日報」の性格
記事にある通り、「大韓日報」はもともと
- 日本人が経営
- 韓国人読者を想定した韓文新聞
として発行されていました。
しかし、日本の政治的影響力が拡大する中で、
- 主な読者層を在韓邦人に転換
- 日本の政策や立場を伝える媒体としての役割を強化
するため、邦字(日本語)新聞へ改刊したと考えられます。
◾️ 言語転換の意味
韓文から日本語への転換は、単なる編集方針の変更ではなく、
- 読者層の変化
- 情報発信の主導権が日本側にあることの明確化
- 日本の影響力が言語空間にまで及んだこと
を象徴しています。
10ページもの付録を付けたことは、
- 改刊を強く印象づける宣伝的意図
- 新聞事業としての拡張と意気込み
を示すものでした。
◾️ まとめ
この記事は、日露戦争後、日本が韓国社会における情報・言論空間を掌握していく過程を示す一例であり、政治支配とメディアの関係を読み取ることができます。
この種の記事は、後の
- 統監府機関紙
- 植民地期の新聞統制
へとつながる流れを理解するうえで、重要な史料です。

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