1906年06月08日 南満洲鉄道株式会社の設立 ―半官半民の大会社が誕生しようとしている―

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.103

(1906年6月8日 官報)
勅令
 朕(天皇)は、南満洲鉄道株式会社に関する件を裁可し、ここにこれを公布する。
 御名御璽
  明治39年6月7日
   内閣総理大臣 侯爵 西園寺公望
     逓信大臣   山縣伊三郎

勅令第百四十二号
第一条
 政府は南満洲鉄道株式会社を設立し、満洲地方において鉄道運輸事業を行わせる。
第二条
 会社の株式はすべて記名株とし、日本および清国(中国)両政府、ならびに日本人および清国人のみがこれを所有することができる。
第三条
 日本政府は、満洲における鉄道、その付属財産および炭鉱をもって、同社への出資に充てることができる。
第四条
 会社は、新たに募集する株式の総額を数回に分けて募集することができる。ただし、第一回の募集額は、総募集額の五分の一未満としてはならない。
第五条
 株金の第一回払込額は、株金の十分の一まで引き下げることができる。
第六条
 会社は、本社を東京市に、支社を大連に置く。
第七条
 会社には、総裁一人、副総裁一人、理事四人以上、監事三人から五人を置く。
 (以下略)

◾️ 日露戦争の結果としての南満洲鉄道

 この記事は、日露戦争(1904–1905年)直後に出された極めて重要な官報です。
 日本は戦勝国として、ポーツマス条約により、
  ・ロシアが持っていた南満洲の鉄道権益
  ・旅順・大連の租借権
  ・付随する鉱山・港湾などの経営権
を引き継ぎました。これらを一体的に管理・経営するために設立されたのが、南満洲鉄道株式会社(満鉄)です。

◾️ 「半官半民」という特殊な会社形態

 見出しにある通り、満鉄は半官半民の会社でした。
  ・日本政府が鉄道・付属財産・炭鉱を現物出資
  ・民間資本も株式を通じて参加
  ・経営は株式会社形式だが、実質的には国家の強い統制下
という、当時としては極めて異例の巨大企業でした。
 これは、満洲経営が単なる民間事業ではなく、国家戦略そのものであったことを意味します。

◾️ 株式所有制限の意味

 第二条で、日清両国政府および日清両国人に限ると定めている点は重要です。
  ・欧米列強(英・米・露など)の資本介入を排除
  ・満洲における日本の主導権を確保
  ・清国にも形式上の関与余地を与え、国際摩擦を抑制
する狙いがありました。
 これは、日本が列強の中で「帝国経営」を慎重に進めようとした姿勢を示しています。

◾️ 鉄道会社を超えた「満鉄」の役割

 満鉄は単なる鉄道会社ではありませんでした。
  ・鉄道経営
  ・炭鉱開発
  ・港湾・都市(大連など)の整備
  ・調査・研究機関(満鉄調査部)による政策立案
など、植民地経営の中枢機関として機能していきます。
 この勅令は、その出発点を公式に示す歴史的文書です。

◾️ 官報掲載の意味

 新聞ではなく官報に掲載されている点も重要です。
 これは、満鉄設立が一企業の話ではなく、国家意思としての決定であったことを明確に示しています。

◾️ まとめ

 この官報記事は、
  日本が日露戦争後、「満洲経営国家」へと踏み出した瞬間
を示す一次史料であり、後の日本の大陸政策・経済・外交・軍事に決定的な影響を与えた出来事を記録しています。

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