1906年03月23日 両手のない芸者・つま吉 寄席に出演へ

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.67

(1906年3月23日 萬朝報)
 大阪・堀江で起きた「六人斬り事件」の犯人・中川万次郎によって、両手を切り落とされてしまった哀れな芸者つま吉(24)は、60歳を過ぎた老いた両親がいるものの、それ以外に自分を支えてくれる人のいない不幸な境遇にあった。
 これを気の毒に思った、大阪三友派の元締(芸人組織の代表)・藤原重助が、つま吉を後見し、寄席に出演させ各地で興行したところ、多くの人々の同情を集めていた。
 このたび、牛込・藁店(わらだな)の主人である佐藤鹿之助らの紹介により、東京の寄席でも働くことになり、つま吉は27日に上京する。来月からは、
  ・銀座・金沢亭
  ・神田・白梅亭
  ・牛込・藁店亭
の三カ所の寄席に出演し、得意の長唄や手踊り、そして両手がないことを逆に活かした「無手踊り」で、『日高川の清姫』を人形振り(人形のような動きで見せる演技)で演じるという。
 つま吉は、外見の印象と違って非常に気丈な女性であり、万次郎に襲われた当時も、犯人が血に狂い、自分にとどめを刺そうとしたところ、うつ伏せに倒れて息を潜め、なんとかその刃から逃れたのだという。さらに、つま吉は長く芸人を続けるつもりはなく、「貯金が千円になったらやめるつもりだ」と語っている。
 どうか、この哀れなつま吉の財布が早くいっぱいになり、老いた両親に孝行できるようになってほしいものである。

● 「大阪堀江六人斬り事件」とは

 記事に登場する「六人斬り事件」は、明治期の大阪で発生した凶悪事件で、中川万次郎という男が複数の人を次々と斬りつけた大事件でした。
 つま吉はその場に居合わせ、犯人によって両手を切断されるという悲惨な被害を受けてしまいます。明治時代の新聞では、このようなセンセーショナルな事件が大きく扱われました。

● 三友派と藤原重助について

 三友派は、大阪を中心に活動した芸人・寄席関係者の団体(興行組織)です。元締の藤原重助は、所属芸人のまとめ役・興行主で、つま吉が働けるようにサポートした人物です。明治期の芸人は、後見(スポンサー・保護者)がいないと生計が立ちにくく、藤原の後押しは大きな意味を持ちました。

● 寄席に出ることで生計を立てるということ

 つま吉は両手を失いましたが、寄席では
  ・長唄
  ・踊り(無手踊り)
  ・人形振りの演目演技
といった形で芸を披露することで生活費を得ていました。
 当時の寄席は単なる「芸能の場」ではなく、同情を集める・義捐を得る場としての機能もありました。そのため、つま吉のような「悲劇の被害者」が出演すると、観客は応援の意味で多くのお金を出すことがありました。

● 「貯金千円」が意味するもの

 明治末期の千円は、現在の1000万〜1500万円程度の価値に相当すると言われます。
 つま吉にとっては、「親を養えるだけのお金を貯めて、芸人の世界からは引退したい」という切実な思いを示す言葉です。

■まとめ

 この記事は、大阪の凶悪事件で両手を失った芸者つま吉が、寄席に出演して生活を立てながら、東京で新たな興行を始めるというニュースを伝えています。
 同時に、明治期の
  ・寄席文化
  ・社会的弱者支援の仕組み
  ・芸人の生計と後見制度
  ・事件報道と大衆の関心
といった社会背景が色濃く反映された記事です。

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