1905年12月10日 帝国ホテル拡築

1905年

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.539

(明治38年12月10日 萬朝報)
 日本の圧倒的な戦勝(=日露戦争の勝利)は、帝国(日本)の国際的地位を著しく高め、また、日本という国の真の力を世界中に広く知らしめた。その結果、外国人がこの日本に興味を持ち、観光や商用で来日する人は、今後ますます増えるだろう。いや、すでに現在も外国人の来訪は増え続けている。したがって、帝国ホテルの拡張計画のような動きは、まことに時宜にかなったものである。ただし、その計画の規模がまだ小さすぎる点は残念である。

1. 日露戦争後の日本と「国際的地位の上昇」

 この記事が出た1905年(明治38年)12月は、日本が日露戦争の勝利によって列強の仲間入りを果たした直後の時期です。この戦勝は、日本の国際的地位を一気に高め、欧米諸国から「アジアで唯一の近代国家」として注目されるきっかけとなりました。
 この時期、
  ・外国資本の流入
  ・欧米外交団や商人の来日
  ・観光・報道目的の渡航者の増加
といった現象が顕著になっていきました。
 記事が述べる「外人の来遊(訪日)」の増加は、まさにそのような社会的変化を背景にしています。

2. 帝国ホテルとは

 帝国ホテル(Imperial Hotel)は、明治23年(1890年)に開業した、日本初の「本格的洋式ホテル」です。場所は東京・日比谷(現在も同地)。開業当初から「外国人のための迎賓ホテル」として設立され、背後には外務省・宮内省・政財界人(渋沢栄一ら)の支援がありました。
 日露戦争後、外国の外交官や実業家が増えると、客室が足りなくなり、拡張・増築計画が立てられたのです。
 この記事は、その計画を評価しつつ、「規模が小さいのが惜しい」と評論しています。

3. 「萬朝報」とこの記事の論調

 『萬朝報』は、自由民権派・国民主義的な論調を持つ新聞で、この時期は比較的「国家的誇り」や「国力発展」を強調する記事が多く見られます。
 この記事もその一つであり、単なるホテル拡張のニュースではなく、「日本が列強の仲間入りを果たした証」としての象徴的意味を込めています。つまり、帝国ホテルの拡張は、「日本が世界を迎える側に立つ文明国となった」ことを示す文化的ニュースだったのです。

4. その後の展開

 その後、帝国ホテルはさらに発展を遂げます。
  ・1919年:アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトを招いて本格的な新館設計を開始。
  ・1923年:ライト設計の「ライト館」が完成(同年の関東大震災でも崩れなかったことで有名)。
 この記事の出た1905年の拡張は、その前段階(初期増築)にあたります。

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