(1907〈明治40〉年9月28日・国民新聞)
フランスの資本家の間で地形調査会社を設立する計画があることは、すでに報じられていたが、いよいよその計画が具体化した。
先ごろ、パリ銀行のヒーナリ氏らとともに来日したフランス資本家の代表であり、フランス地形会社の有力技師であるルシャン・メルレー氏らを中心として、日本側の田中遜氏、長森藤吉郎氏らと共同で、「オリエンタル・コンプレッソール・カンパニー(Oriental Compressor Company)」を設立することが決まり、麹町区内幸町に事務所を開設した。資本金はまだ正式には決まっていないが、少なくとも30万円以上となる見込みである。11月に機械が到着し次第、すぐに営業を開始する予定である。
同社が使用する地形測量機械は、どのような土地でも測量できない場所はないほど性能が優れており、その効果は非常に高い。また、測量費用もかなり安く済むという。ただし、この機械を扱うには地質学の知識だけでなく、特別な専門技術も必要となるため、当面は会社自らが測量業務を請け負うだけにとどめ、機械そのものを販売する予定はないという。
⚫︎ 日本の近代化と測量技術
1907年は日露戦争終結(1905年)の直後で、日本では鉄道・港湾・鉱山・ダム・都市計画などの大型開発が急速に進んでいました。
そのため、
- 正確な地形測量
- 地質調査
- 土木設計
の需要が急増していました。
明治初期には日本の測量技術は欧米に大きく遅れていましたが、この頃には欧州の最新技術を導入しながら急速に近代化を進めていました。
⚫︎ 「地形会社」とは何か
現在の感覚では「地図を作る会社」のように思えますが、当時の「地形会社」は
- 地形測量
- 地質調査
- 土木測量
- 鉱山調査
- 鉄道・道路建設のための測量
などを行う総合的な測量会社でした。
記事にある「地形機械」は、現在でいう
- ボーリング機械
- 地盤調査機
- 地質探査機
- 精密測量機器
などを指していた可能性があります。
⚫︎ フランス資本の日本進出
明治後期になると、日本は
- イギリス
- ドイツ
- フランス
- アメリカ
など各国から資本や技術を導入していました。
フランスは特に
- 土木工学
- 都市計画
- 測量
- 機械工学
の分野で高い技術力を持っており、日本との技術提携も増えていました。
この記事は、その一例として日仏共同企業の設立を伝えています。
⚫︎ 30万円という資本金の規模
1907年当時の30万円は非常に大きな資本金でした。
現在の貨幣価値へ単純換算はできませんが、数十億円規模に相当する事業投資と考えられることもあります。
つまり、この会社は小規模な測量会社ではなく、本格的なインフラ事業への参入を目指していたことがわかります。
⚫︎ 機械を販売しなかった理由
記事では「機械は販売しない」とあります。
これは
- 機械が極めて高価
- 操作に高度な専門知識が必要
- 操作を誤ると測量精度が大きく低下する
という事情によるものでしょう。
現在でも、
- 地中レーダー
- ボーリングマシン
- 三次元レーザー測量
などは専門業者が機器を保有・運用し、調査業務として請け負うことが一般的です。
⚫︎ まとめ
この新聞記事は、日仏共同出資による測量・地質調査会社の設立を報じたものです。
ポイントは次のとおりです。
- フランスの資本と技術、日本側の人材が協力して会社を設立した。
- 欧州製の最新測量・地質調査機械を日本へ導入しようとしていた。
- 鉄道や鉱山、土木工事など近代国家建設に不可欠なインフラ整備を支える企業として期待されていた。
- 高度な専門技術を必要とするため、機械販売ではなく測量サービスを提供する事業形態を採用していた。
この記事は、明治後期の日本が欧州から技術を積極的に導入し、近代的なインフラ整備を推進していたことを示す好例といえます。

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