(1907〈明治40〉年9月18日『東京朝日新聞』)
鹿児島控訴院(※記事では「鹿島」とあるが、「鹿児島控訴院」の誤植または略記と考えられる)の院長である一瀬勇三郎氏は、尾道区裁判所判事・岡崎虎次郎氏を、本人の意思に反して山口地方裁判所へ転任させた。
この人事について、「憲法が保障する裁判官の身分保障を無視したものである」との批判が起こり、最終的に一瀬院長は懲戒裁判に付されることとなった。その結果、昨日、大審院刑事第一部において、井上裁判長から「年俸を月割りした額の6か月分について、その3分の1を減俸する」との懲戒判決が言い渡された。
写真・図引用:https://smtrc.jp/town-archives/city/kasumigaseki/p02.html?utm_source=chatgpt.com
⚫︎ 裁判官の「身分保障」とは
この記事の中心となっているのは、裁判官の身分保障です。
1889(明治22)年制定の大日本帝国憲法では、裁判官の独立性を確保するため、
- 法律で定める場合を除き免職されない
- 行政権によって恣意的な人事を受けない
という原則が定められていました。
さらに、1890(明治23)年制定の裁判所構成法でも、裁判官の身分保障が制度化されました。
その趣旨は、政府や上司からの圧力を受けず、公正な裁判を行えるようにすることでした。
⚫︎ なぜ転任が問題となったのか
記事では、本人の意思に反して山口地方裁判所へ転任させたことが問題になっています。
当時の裁判官は国家公務員でもありましたが、一般の行政官とは異なり、裁判官の異動には法律上の制約がありました。
本人の同意を欠く転任は、
- 実質的な左遷
- 人事権の濫用
- 裁判官の独立の侵害
につながるおそれがあるためです。
そのため、この事件では「憲法違反ではないか」という議論に発展しました。
⚫︎ 懲戒裁判とは
当時の裁判官は、行政処分ではなく、司法内部の懲戒裁判によって処分されました。
この記事の判決は、大審院で言い渡されています。
大審院は現在の最高裁判所に相当する最高司法機関であり、裁判官自身の懲戒も担当していました。
⚫︎ 減俸処分の内容
記事にある年俸月割額六ヶ月分の三分の一とは、
6か月間について、毎月給与の3分の1を減額するという意味です。
免職ではありませんが、当時としては比較的重い懲戒処分でした。
裁判官の独立を侵害する人事権行使に対し、司法内部が責任を問うた例として知られています。
⚫︎ 明治期の司法制度の成熟
この事件は、日本の司法制度が成熟し始めていたことを示しています。
明治初期には行政の影響力が強かった司法も、1890年代から1900年代にかけて
- 裁判官の独立
- 憲法の尊重
- 適正な人事
が重視されるようになりました。
新聞が「憲法の保障を無視」という言葉で報じていることからも、当時すでに憲法に基づく司法の独立という考え方が社会に浸透し始めていたことが分かります。
⚫︎ まとめ
- 鹿児島控訴院長・一瀬勇三郎は、尾道区裁判所判事・岡崎虎次郎を本人の意思に反して転任させた。
- この人事が裁判官の身分保障を侵害すると批判され、懲戒裁判に付された。
- 大審院は、一瀬院長に対し「6か月間、給与の3分の1を減額する」という減俸処分を言い渡した。
- この事件は、明治憲法下で裁判官の独立と身分保障が実際に問題となり、その原則が司法内部で守られようとしていたことを示す重要な事例である。


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