1907年02月06日 社会党員の筆禍――大杉栄らに体刑

1907年

(1907年2月6日 平民新聞)
 政府は社会党を裁判によって攻撃しようとしているのだろうか。昨日は二つの裁判事件が、いずれも有罪判決を受けた。まず「新兵」事件については、東京地方裁判所において、秩序壊乱の罪として、次のような判決が言い渡された。
 ・軽禁錮一か月 大杉栄
 ・軽禁錮二か月 山口義三
 ・無罪     大脇直寿
 これに対し、大杉・山口の両名は、ただちに控訴の手続きを行った。

 次に「貧富の戦争」事件では、大審院において、これまで二度にわたって下されてきた無罪判決が破棄され、最終的に次の判決が言い渡された。
 ・軽禁錮一か月十五日 山口義三(ただし三年間、刑の執行を猶予する)

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/129

写真・図引用:

◾️ 「筆禍」とは何か

「筆禍」とは、言論・著述活動によって刑罰を受けることを指す当時の言葉です。この記事は、文章や出版物を理由に社会主義者が処罰された事件を告発的に報じています。

◾️ 社会党と『平民新聞』

この記事を掲載した平民新聞は、社会主義・反戦・反政府を掲げる新聞で、政府から常に危険視されていました。社会党(日本社会党)は結成直後から弾圧を受け、裁判は思想弾圧の主要な手段となっていました。

◾️ 「新兵」「貧富の戦争」事件

  • 「新兵」事件:軍隊・徴兵制度を批判する内容が、「秩序壊乱」「風俗壊乱」として処罰対象とされた。
  • 「貧富の戦争」事件:階級対立を描いた文章が、国家秩序を脅かす思想として問題視された。

特に注目すべきは、下級審での無罪が、大審院で覆された点であり、これは司法が次第に国家権力寄りに傾斜していく兆候といえます。

◾️ 大杉栄の位置づけ

大杉栄は、後に無政府主義運動の中心人物となり、1910年代には日本の社会運動を代表する思想家となります。本記事は、彼が早い段階から国家権力と衝突していた事実を示す重要史料です。

◾️ まとめ

  • 本記事は、1907年当時の社会主義者に対する言論弾圧(筆禍)を報じている
  • 「新兵」「貧富の戦争」という文章表現が刑事責任を問われた
  • 下級審無罪が覆されるなど、司法が思想統制の役割を担い始めている
  • 大杉栄らの処罰は、後の治安警察法・大逆事件へと連なる弾圧の前段階と位置づけられる
  • 近代日本における言論の自由の限界を考えるうえで、極めて重要な史料である

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