1907年02月05日 足尾銅山の坑夫が騒動 賃金引き上げ要求が原因

1907年

(1907年2月5日 東京朝日新聞)【宇都宮発】
 足尾銅山の坑夫たちは、ここ数日来、盛んに賃金引き上げ運動を行ってきたが、ついに事態が爆発した。四日午前九時半ごろ、同鉱山の通洞坑一番坑内にいた坑夫五百余名と、同二番坑内に今朝入坑した坑夫四百余名、合わせて九百余名が合流し、外部と連絡が取れないように電線をすべて切断して坑内を暗闇にした。
 さらに、すべての見張所を爆裂弾で破壊するなど、非常な大騒動となった。同時に、坑外でも四百余名の坑夫が密集し、盛んに声援を送ったため、暗闇となった坑内は、まさに悲惨な修羅場と化した。
 足尾分署の警察官が総出で鎮圧に努めたが、ほとんど効果はなかった。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/129

写真・図引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AAshio_Copper_Mine_circa_1895.JPG?utm_source=chatgpt.com

◾️ 足尾銅山と日本近代産業

足尾銅山は、明治期日本を代表する大規模鉱山で、銅は軍需・電線・貨幣など近代国家の基盤を支える重要資源でした。しかし急速な増産の裏で、坑夫たちは低賃金・長時間労働・危険な作業環境に置かれていました。

◾️ 労働運動の高まり

1900年代初頭、日本各地で労働争議が頻発します。この騒動も、単なる暴動ではなく、賃金引き上げを求める集団的労働運動が武力的衝突へと転化した例です。電線切断や見張所破壊は、経営側・警察による介入を遮断するための行動でした。

◾️ 足尾銅山と社会問題

足尾銅山は、鉱毒による公害問題でも知られ、地域社会と労働者の双方に深刻な影響を与えていました。こうした環境悪化と生活不安が、坑夫たちの不満を一層強め、1907年の大規模騒擾につながったと考えられます。

◾️ まとめ

  • 本記事は、1907年に発生した足尾銅山坑夫の大規模賃上げ争議を伝えている
  • 坑内・坑外あわせて千人規模が関与し、通信遮断や施設破壊に及ぶ深刻な騒擾であった
  • 背景には、近代産業の急成長の陰で放置された労働環境の劣悪さと賃金問題がある
  • 日本における近代的労働運動の初期段階を示す重要な歴史資料である

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