(1907年1月11日、萬朝報)
諏訪湖の氷上滑走
冬の遊びとして、氷の上を滑るスケートほど爽快な遊びは他にありません。このスポーツは欧米では盛んに行われてきましたが、日本ではまだ十分な設備が整っていませんでした。
そこで東京・芝区露月町の三南商会は、信州下飯訪(※下諏訪)で志を同じくする人々と協力し、諏訪湖の湖上に約5万坪もの大きなスケート場をつくりました。昨日から一般の人々に開放され、楽しい遊び場として利用できるようになったことは喜ばしいことです。
場所は東京から中央線で甲府を経由し、約8時間で到着できます。湖は海抜約2500尺(約760メートル)にあり、景色が大変美しいところです。湖畔には温泉が各所に湧き、旅館でも入浴ができます。
鉄道会社では下諏訪往復の割引切符(1週間有効)を発売しており、飯田町や新宿から二等5円・三等3円、横浜や平沼からも二等5円50銭・三等3円30銭とのことです。
昨日までに南商会を通じて諏訪に向かったのは日本体育協会の会員十数名、そのほか数名と、英国大使ら一行も今か明日にでも出発すると聞いています。
◾️ 諏訪湖(現:諏訪湖 / Lake Suwa)
諏訪湖(長野県)は信州(長野県)の中央にある、周囲約16kmの大きな湖です。冬には全面結氷することがあり、昔は天然の氷上スケートが地域の冬の楽しみでした。
- 氷が厚くなると地域の人々がスケートや釣りを楽しみ、冬の行楽地として人気でした。
- 氷の割れ目が隆起してできる「御神渡り(おみわたり)」という自然現象は、古くから神聖視されています。
※現在は温暖化の影響で全面結氷が少なくなっており、氷上遊びは昔ほど盛んではありません。
◾️ 日本のスケート史の始まりのひとつ
明治時代末(1900年代)ごろ、日本で本格的なスケートが普及し始めた背景にはいくつかの要因があります。
① 外国文化の流入
欧米ではすでにスケートが冬のスポーツとして人気で、日本にもこうした文化が紹介されていました。
② 下駄スケートの登場
諏訪地方では、地元の職人が「下駄スケート」を発明・普及させ、スケート文化が一気に広まりました。
- 下駄に鉄製の刃をつけたもので、当時高価だった西洋製スケート靴に比べて廉価であり、多くの人に使われました。
- こうした日本独自の工夫が、スケートを庶民に広める一役を担いました。
◾️ 交通と観光の発展
記事にもある通り、1905年(明治38年)には中央線が岡谷まで開通し、東京から諏訪地方へのアクセスが大幅に向上しました。
これにより都市住民による冬の旅行やスポーツ観光が可能になり、スケート場や旅館など地域の観光産業の発展に繋がりました。
◾️ 記事の特筆点
- 英国大使らの訪問が予定されていたとあり、外国人も注目する新しい冬のレジャーとして捉えられていたことがうかがえます。
- 日本体育協会会員の参加など、スポーツとしての側面も強調されています。

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