(1907年1月3日・東京朝日新聞)
国全体の富が増加するのに伴い、社会の下層にまで貯蓄をしようとする意識が広がり、郵便貯金は近年めざましい発展を遂げている。とくに日露戦争後の増加は著しく、明治36年末にはわずか3,100余万円であった残高が、明治38年末には一挙に5,200余万円に達した。
さらに昨年11月には6,500余万円となり、預金者数は実に644万余人にのぼった。もっとも、12月に入ると例年どおり年末の出費のため引き出しも少なくないが、それでも残高は6,060余万円を数え、預金者数はますます増加している。
要するに、この傾向は社会文化の発達とともに、年が改まってもなお一層の好調を続けるであろう。
(表省略)
◾️ 郵便貯金制度とは何か
郵便貯金は、逓信省が運営した国家的貯蓄制度で、
- 少額から預けられる
- 国が保証する安全な預金
という特徴を持ち、1885年(明治18年)に始まりました。
銀行に縁のなかった
- 農民
- 労働者
- 女工・小商人
といった層にも「貯金」という概念を普及させた点が、最大の意義です。
◾️ 日露戦争後の「貯蓄ブーム」
記事が強調するように、郵便貯金の急増は日露戦争(1904–05年)後に顕著になります。
その理由は複合的です。
- 戦時国債・献金運動を通じて → 「国家と金銭」が身近なものになった
- 好景気と賃金上昇
- 将来不安の高まり →増税・物価上昇への備え
つまり、戦争体験が国民の金融意識を一段引き上げたのです。
◾️ 「下層社会」まで及んだ近代化
この記事で重要なのは、「下層社会に到るまで貯蓄の念慮加はる」という一文です。
これは、近代的な
- 金銭管理
- 計画的生活
が、都市労働者や農村部にまで浸透し始めたことを意味します。
郵便局は全国津々浦々に存在し、国家が直接、生活規範を教える装置でもありました。
◾️ 郵便貯金と国家財政
集められた郵便貯金は、
- 国債の消化
- 鉄道・港湾などインフラ整備
- 殖産興業資金
として再投資されました。
つまり郵便貯金は、
国民の貯蓄
→ 国家の資本
→ 近代国家建設
という循環を作り出す制度だったのです。
◾️ 数字が示すインパクト
- 残高:6,000万円超
- 預金者:約640万人
当時の人口(約5,000万人)から見れば、国民の8人に1人以上が郵便貯金を利用していた計算になります。
これは、明治日本がすでに大衆金融社会の入口に立っていたことを示します。
◾️ まとめ
この短い記事は、
- 日露戦争後の社会心理
- 国民生活の「近代化」
- 郵便貯金という国家的金融装置の成功
を端的に示す資料です。
同時に、「貯蓄する国民」=「統治しやすい国民」という、近代国家の思想も透けて見えます。

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