1906年10月07日 英仏軍事協約説

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.150

(1906年10月7日 時事新報)(10月5日・ロンドン発)
 ベルリンの新聞『ゲルマニア』の報じるところによれば、現在、イギリスとフランスの間で軍事協約が結ばれつつあるという。この協約は、ドイツと開戦した場合に、英仏両国が協力して行動することを定めるものである。
 そしてイギリスは、日英秘密協約の条項を内々にフランスへ通告し、フランスもまた、仏露秘密協約の内容をイギリスに明らかにしたという。今回の英仏軍事協約は、これら二つの秘密協約を相互に調和させることに力を注ぐものになるであろう。
 そもそも日本は、イギリスに対して、もし侵略的な戦争を行うヨーロッパの国が現れた場合には、直ちにその国の植民地へ侵入することを承諾している、とのことである。

この記事は、日露戦争後のヨーロッパ国際秩序再編と、反ドイツ包囲網の形成過程を背景としています。

◾️ 英仏協商(1904年)と軍事協力

 イギリスとフランスは1904年に英仏協商(協定協商/エントente cordiale)を結び、長年の植民地対立を解消しました。ただし、この協商は当初、形式上は軍事同盟ではありませんでした。
 しかし1900年代半ばになると、
  ・ドイツ帝国の急速な海軍拡張
  ・皇帝ヴィルヘルム2世の強硬な外交姿勢
  ・モロッコ問題などによる英仏の危機感
を背景に、英仏間では事実上の軍事協力体制が水面下で進められるようになります。この記事は、そうした動きを「英仏軍事協約説」として伝えています。

◾️ 秘密協約の連結構造

 記事の核心は、複数の秘密協約が相互に連結されつつあるという点です。
  ・日英同盟(1902年、1905年改訂)
   → イギリスが欧州で戦争に巻き込まれた場合、日本が極東でその敵国を牽制する可能性を含む
  ・仏露同盟(1894年)
   → ドイツに対する東西挟撃体制

 この記事は、日英同盟 × 英仏協力 × 仏露同盟という形で、反ドイツ包囲網(後の三国協商)が構築されつつあることを示唆しています。

◾️ 日本の位置づけ

 特に注目すべきは、最後の一文です。日本は、侵略的戦争を行うヨーロッパ諸国があれば、その植民地に侵入することを承諾している

 これは、日本が日英同盟を通じて、
  ・極東における英仏の植民地防衛
  ・ドイツ(主にドイツ領青島・南洋諸島)への牽制
を担う存在として認識されていたことを示します。

 日本はすでに、
  ・日清戦争
  ・日露戦争
を経て、欧州列強の戦略計算に組み込まれる軍事大国として扱われていました。

◾️ 情報源がドイツ紙である意味

 この記事がベルリンの新聞『ゲルマニア』を情報源としている点も重要です。
  ・ドイツ側から見れば、英・仏・露・日が連携する動きは、明確な「包囲政策」と映る
  ・その警戒感や被害意識が、ドイツ国内世論に反映されている

 つまりこの記事は、
  英仏側の事実関係+ドイツ側の警戒心
の両方を、日本の読者に伝える役割を果たしていました。

◾️ 歴史的意義

 この記事は、
  ・第一次世界大戦前夜に形成される同盟ブロック政治の実態
  ・日本が「極東の同盟国」から世界戦略の一部を担う存在へ変化したこと
を如実に示しています。

 1906年の時点ではまだ「噂」「説」の段階ですが、この構図は最終的に
  ・英・仏・露(+日本)陣営
  ・独・墺(オーストリア)陣営
という形で固定化され、1914年の世界大戦へとつながっていきます。

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