(1906年6月3日・報知新聞)
今回、東京市で新たに設置される予定の託児所は、労働者の幼い子どもを預かり、親が一日中、後顧の憂いなく安心して働けるようにするものであり、まさに労働者にとって天からの福音と言うべき施設である。これは、すでにドイツで実施され、良好な成果を上げている制度を取り入れたものだという。
そもそも、わが国の労働者の多くは夫婦共稼ぎであり、乳飲み子を背負った妻が、夫の人力車を後ろから押して働くといった光景も、決して珍しいものではない。しかし、このような状態では仕事の妨げとなり、思う存分働くことができない。
そこで託児所を設け、労働者が朝仕事に出る際に幼児を預け、夕方の帰宅時に迎えに来て連れ帰るという仕組みとするのである。
託児所では、保母(保育係)が配置され、母親に代わって愛情をもって世話をする。まず控室で子どもを受け取り、託児所専用の和服を着せ、顔を洗わせ、入浴させる。次に食堂で食事を与え、乳飲み子には時間を決めて牛乳や練乳を飲ませる。家庭にいるのと同じように、楽しく自由に遊ばせ、排泄の世話も含め、十分な注意と責任をもって一日中保育するという。
もし子どもが病気になった場合には、治療室へ連れて行き、丁寧な治療を受けさせる。建物の構造は、図に示されているように、浴室・食堂・治療室・保育室・遊戯室を備える予定である。ただし、この図面はまだ確定したものではなく、次回の博覧会に出品して世間の批評を募り、改めるべき点は修正したうえで建設する計画である。

◾️ 明治後期の都市労働問題
1906(明治39)年は、日露戦争後の都市化・工業化が急速に進んだ時期です。
・工場労働者
・土木・運輸労働者
・下層都市労働者
が東京に集中し、夫婦共稼ぎが一般的になっていました。特に下層労働者層では、女性も重要な労働力であり、育児と労働の両立が深刻な問題でした。
◾️ 託児所設置の切実な必要性
記事中にある、乳呑児を背負へる妻が夫の車の後押をなせるという描写は、誇張ではなく、当時の実情をよく表しています。
・子どもを背負っての労働は危険
・労働効率が下がる
・子どもの健康・安全が脅かされる
こうした状況を改善するため、公的託児所の構想が生まれました。
◾️ ドイツの社会政策の影響
記事で言及されているように、この託児所構想は、
・ドイツ(独逸)の社会政策
・ビスマルク体制下で進められた労働者保護政策
の影響を強く受けています。
明治後期の日本は、
・労働問題
・社会不安(社会主義運動の芽生え)
への対応として、欧州型の社会政策を研究・導入し始めていました。
託児所は、
・労働者保護
・社会秩序の安定
を同時に狙った施策でもありました。
◾️ 「福祉」と「労働統治」の両面
この記事は託児所を「労働者の福音」と称賛していますが、その背景には、
・労働者を安心して働かせる
・生産力を高める
・労働争議や不満を抑える
という、行政側の統治的意図も含まれていました。
つまり、
・純粋な慈善事業
・労働者統合政策
という二つの側面を併せ持っていたのです。
◾️ 日本の保育制度史における意義
この東京市託児所構想は、
・日本における公的保育制度の先駆け
・「家庭内育児」から「社会的育児」への転換点
として重要です。
後に、
・工場付属託児所
・市町村立保育所
・児童福祉制度
へと発展していく流れの出発点の一つと評価されています。
◾️ 総括
この記事は、単なる新施設の紹介ではなく、
・明治日本が直面した都市労働問題
・女性労働と育児の両立
・欧州型社会政策の受容
を象徴的に示す史料です。
「託児所」という存在が、労働・家族・国家の関係を再編し始めた時代をよく伝えています。

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