1906年06月02日 英吉利病が蔓延

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.100

(1906年6月2日・報知新聞)
 富山県氷見郡能無(のうむ)村に、ある種の奇病が発生したことは、これまでにもたびたび報じてきたところであるが、その後、県当局があらゆる手段を尽くして調査した結果、昨日までに、この村を中心として、周辺十五か村にわたり、二百三十人もの患者が確認された。
 この事態を受け、内務省衛生局としても看過できないとして、昨日、同県知事に対し、現地の実情を詳しく調査し、至急報告するよう通達したという。

◾️ 「英吉利病」とは何か

 記事にある英吉利病(えげれすびょう)とは、現在でいうくる病(佝僂病・rickets)を指します。
  ・主に乳幼児や子どもに発症
  ・骨が柔らかくなり、
     ・足が曲がる
     ・背が伸びない
     ・歩行障害が出る
といった症状を示します。
 当時は、最初にヨーロッパ(特にイギリス)で広く知られたため、日本では「英吉利病」と呼ばれていました。

◾️ 発生地・富山県との関係

 富山県沿岸部・農村部では当時、
  ・貧困
  ・偏った食事(白米中心)
  ・日照不足(屋内作業・冬季の降雪)
といった条件が重なり、栄養障害が起こりやすい環境でした。
 特に、
  ・カルシウム
  ・ビタミンD(当時は未発見)
の不足が原因であることは、1906年当時まだ科学的に完全には解明されていませんでした。

◾️ 「奇病」として扱われた理由

 当時の日本では、
  ・細菌感染症(コレラ、赤痢、結核など)が主要な関心対象
  ・栄養欠乏症という概念が未成熟
であったため、くる病の集団発生は、原因不明の「奇病」として受け止められました。
 そのため、
  ・伝染病ではないにもかかわらず
  ・行政・新聞が強い危機感を示した
のです。

◾️ 内務省衛生局の対応

 記事にあるように、
  ・内務省衛生局が県知事に直接調査を命じた
ことは、当時としては比較的重い対応です。
 これは、
  ・地方の一農村の問題にとどまらず
  ・全国的な衛生問題になりかねない
と中央政府が判断したことを意味します。
 明治期は、伝染病対策を通じて
  ・国家が国民の健康を直接管理し始めた時代
であり、本件もその流れの中にあります。

◾️ 歴史的意義

 この報道は、
  ・日本で栄養欠乏症が社会問題として認識され始めた初期の例
  ・医学・公衆衛生が「感染症中心」から徐々に広がっていく過程
を示す資料として重要です。
 後に、
  ・牛乳の奨励
  ・魚・日光浴の推奨
  ・学校衛生の充実
といった対策が進み、英吉利病は次第に減少していきました。

◾️ 総括

 この記事は単なる地方の病気報道ではなく、
  ・近代日本が「国民の身体」を国家的課題として扱い始めた
  ・栄養・生活環境の問題が初めて可視化された
ことを示す、明治期公衆衛生史の重要な一断面を伝えています。

コメント