1906年05月13日 韓国皇帝の密使、ロシア首都で狙撃される 追われて現在はウラジオストクに潜伏中

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.88

(1906年5月13日 東京朝日新聞)
 昨日ウラジオストクからの特別通信によると、次のようである。
 5月4日午後、韓国元軍務大臣・李容翊(イ・ヨンイク)が、突然上海からウラジオストクに到着した。李容翊は、先ごろ韓国皇帝から15万円の旅費を受け取り、皇帝の密使として外国に派遣されていた。ロシアの首都(サンクトペテルブルク)に入ったところ、同行していた3名の随員によって拳銃で狙撃され、体に十数か所の傷を負ったという。その後ウラジオストクに来ると、在留韓国人の有力者を招いて何らかの密談を行い、また在留韓国人たちはこれを歓迎して宴会を開き、席上で歓迎文を読み上げる者もあった。
 李はしばらくウラジオストクに滞在する予定だが、外国人との面会はいっさい断っており、腹心の随員を別途ロシア首都から呼び寄せたと伝えられている。

◾️ 李容翊(イ・ヨンイク)とは何者か

 李容翊は、
  ・大韓帝国の元軍務大臣
  ・皇帝(高宗)の側近的存在
  ・財政・軍事の実力者
として知られた人物です。

 日露戦争後、日本の韓国支配が急速に進む中で、親日派・反日派の対立が激化し、李容翊は日本側から警戒される人物の一人でした。

◾️ 「皇帝の密使」とは何を意味するのか

 1905年11月、第二次日韓協約(乙巳条約)によって韓国は日本の保護国となり、外交権を失いました。
 しかし皇帝・高宗はこれを不服とし、
  ・条約の無効を国際社会に訴える
  ・列強(特にロシア・欧米)に支援を求める
ため、密かに使者を海外に派遣していました。

 李容翊の行動も、
  ・ロシア政府や関係者への接触
  ・日本の保護国化への抵抗工作
と見るのが自然です。

◾️ なぜロシアだったのか

 ロシアは日露戦争で敗北したとはいえ、
  ・朝鮮半島に強い関心を持ち続けていた
  ・日本を牽制する潜在的な存在
であり、韓国側にとっては最後の頼みの綱でした。

 そのため密使は、
  ・上海 → ロシア → 欧州
といったルートで動くことが多く、本記事の動きとも一致します。

◾️ 狙撃事件の意味

 注目すべきは、「三名の随員のために狙撃された」という点です。
 これは単なる外部勢力による襲撃ではなく、
  ・内部対立
  ・密使団内部の不和
  ・日本側の影響下にある人物の関与
など、複雑な政治的背景を強く示唆します。

 当時の韓国政界では、
  ・親日派
  ・親露派
  ・皇帝直属派
が入り乱れており、暗殺や謀殺は珍しくありませんでした。

◾️ ウラジオストク潜伏の意味

 ウラジオストクは、
  ・ロシア極東の拠点
  ・朝鮮・満洲と地理的に近い
  ・韓国人亡命者・活動家が多く集まる都市
でした。

 李容翊が
  ・外国人との接触を避け
  ・腹心のみを呼び寄せ
  ・在留韓国人と密談
している点から、何らかの政治的行動を続行する意思があったと考えられます。

◾️ 日本の新聞がこの事件を報じる意味

 東京朝日新聞がこの件を詳しく報じたのは、
  ・日本の韓国支配に対する「裏の動き」を監視
  ・皇帝側の抵抗が依然続いていることの警告
  ・ロシアとの関係悪化への警戒
という意味合いがありました。

 つまりこの記事は、「韓国はすでに日本の保護下に入ったが、なお水面下では激しい抵抗が続いている」という現実を伝える記事なのです。

◾️ 総括

 この新聞記事は、
  ・大韓帝国末期の密使外交
  ・皇帝派と親日派の暗闘
  ・国際政治に翻弄される小国の苦悩
を象徴的に示しています。

 李容翊の狙撃と潜伏は、韓国併合(1910年)へ向かう過程で、すでに国家としての自立が極度に追い詰められていた状況を如実に物語る出来事でした。

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