(1906年5月8日 読売新聞)
上海に在留する日本人の数は次第に増加し、すでに五千人以上に達している。そこで一方では居留民の団結と協調を図り、他方では公共事業を運営する方策を講じる必要を感じ、日本人倶楽部および日本人実業倶楽部の発起人たちが中心となって、日本人協会設立の協議を行ったところ、大多数の賛成を得た。
その後、会則の制定、委員の選任を行い、以後は実施方法について委員会でたびたび会合を開き、熱心に協議を重ねた結果、次の事業を行うことに決定した。
一、貿易の調査
二、教育
三、日本人義勇隊
四、慈善事業
五、墓地および衛生事業
これらの事業に必要な経費は、各会社をはじめ、個人からも毎月の分担金として拠出することとした。その結果、すでに申し込みの年額は一万一千七百ドルに達しているという。
このため、4月21日に総会を開き、いよいよ同日から事業を実施することを決議したとのことである。
◾️ 上海における日本人社会の急拡大
1906(明治39)年当時、上海は
・清国最大の商業都市
・欧米列強の租界が集中する国際都市
であり、日本にとっても中国進出の最重要拠点でした。日清戦争(1894–95)、日露戦争(1904–05)を経て、日本の対中経済活動は急速に拡大し、商人・銀行員・会社員・技術者などが大量に上海へ渡りました。
その結果、在留日本人が5,000人を超える規模となり、個人や企業の集まりでは対応しきれない段階に達していました。
◾️ 「日本人協会」設立の目的
記事にある協会設立の目的は、大きく二つです。
・居留民の一致協和 → 内部の統制、対外的な結束の確保
・公共事業の経営 → 教育・衛生・治安・福祉など、国家や自治体に代わる機能の整備
これは、租界という特殊な環境のもとで、 在外日本人社会が「半自治的共同体」へと成長していたことを示します。
◾️ 事業内容が示す特徴
列挙されている五つの事業は、当時の日本人社会の関心をよく表しています。
・貿易調査 → 中国市場の情報収集・商機の開拓
・教育 → 日本人子弟のための学校設立・運営
・日本人義勇隊 → 有事・治安悪化への自衛的組織(準軍事的性格)
・慈善 → 同胞救済・社会的評価の向上
・墓地および衛生 → 疫病対策・共同墓地の管理
特に「義勇隊」や「衛生」が含まれている点から、当時の上海が治安・公衆衛生の面で不安定な都市であったことも読み取れます。
◾️ 財政規模の意味
年額1万1,700ドルという拠出額は、当時としてはかなりの金額で、
・日本企業の積極的関与
・経済的に余力のある居留民層の存在
を示しています。
これは、上海日本人社会が単なる出稼ぎ集団ではなく、恒常的な経済・社会拠点として定着しつつあったことを意味します。
◾️ 日本の対中進出との関係
この協会設立は、民間団体の動きでありながら、
・日本政府の対中政策
・経済的・人的進出
と密接に連動していました。在外日本人団体はしばしば、経済活動の基盤整備と国益の先兵の役割を果たしていたのです。
◾️ 総括
この記事は、日露戦争後、日本人の中国進出が「個人段階」から「組織段階」へ移行したことを示す重要な資料です。
上海日本人協会の設立は、
・在外日本人社会の成熟
・日本の対外経済活動の拡張
・国際都市・上海における日本の存在感の増大
を象徴する出来事であり、20世紀初頭の東アジア国際関係を理解するうえで欠かせない一断面と言えるでしょう。


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