(1906年5月7日 東京朝日新聞)
アメリカ人が設計した、晩香坡(バンクーバー)を起点とし、アラスカを経由してベーリング海峡を横断し、シベリアのカンクス(=イルクーツク方面を指すと考えられる)に至る大鉄道について、ロシア帝国鉄道局は委員会を開き、次のような条件のもとでおおむね許可する方針を決定した。
すなわち、
・敷設資材の一部はロシア国内から調達すること
・工事は鉄道の両端から同時に着工すること
・そのほか路線の方向などについては、ロシア政府の意見を受け入れること
といった条件である。
◾️ 「米亜横貫大鉄道」とは何か
この記事が伝える「米亜横貫大鉄道」とは、北米とユーラシア大陸を鉄道で直結しようとする壮大な構想です。
構想の概要は、
・北米西岸(バンクーバー周辺)
・アラスカを縦断
・ベーリング海峡をトンネルまたは橋で横断
・シベリア鉄道に接続
というもので、アメリカ・ロシア・アジア・ヨーロッパを陸路で結ぶ世界的交通網を目指す計画でした。
この種の構想は19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧米でたびたび真剣に議論されていました。
◾️ なぜ1906年に注目されたのか
1906(明治39)年という時期は重要です。
・シベリア鉄道がほぼ完成段階に入っていた
・日露戦争(1904–05)が終結し、ロシアが極東政策の立て直しを迫られていた
・アメリカは太平洋国家として存在感を強めていた
こうした状況の中で、ロシアが米国主導の巨大インフラ構想に「条件付きで関与する」姿勢を示したことは、
国際的にも大きな話題でした。
◾️ ロシア側の条件の意味
記事にあるロシア側の条件は、単なる技術的条件ではありません。
・資材をロシアから調達 → 経済的利益と技術管理を確保
・両端同時着工 → 一方的な主導権を防ぐ
・路線方向に政府意見を反映 → 軍事・領土安全保障への配慮
つまりロシアは、この鉄道を経済インフラであると同時に軍事・戦略インフラと見なしていたのです。
◾️ 日本の新聞がこれを報じる意味
東京朝日新聞がこの計画を「すばらしい」と評している点は注目されます。
当時の日本にとって、
・北太平洋・極東の交通網整備
・米露関係の動向
・シベリア・アラスカの開発
は、自国の安全保障・貿易・対露政策に直結する問題でした。とりわけ日露戦争直後の日本では、ロシアの極東戦略の変化を示すニュースは強い関心を集めました。
◾️ 実現しなかった理由
この「米亜横貫大鉄道」は、
・技術的困難(永久凍土・海峡横断)
・莫大な建設費
・米露間の政治的不信
などにより、最終的には実現しませんでした。
しかしこの構想は、
・現代のベーリング海峡トンネル構想
・北極圏物流・ユーラシア横断構想
などの遠い先駆けと位置づけることができます。
◾️ まとめ
この記事は、20世紀初頭の人類が描いた「世界連結インフラの夢」を伝える貴重な史料です。日露戦争後という国際秩序の転換点において、米国・ロシア・極東が交錯する中で構想された、技術・政治・夢想が交差する時代の空気が、短い記事の中に凝縮されています。


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