1906年04月22日 文なしの大臣 小村と大浦の“好一封”の話

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.82

※「文なし」は「お金がない」、「好一封」は「まとまった金が手に入ること・欲しがること」の当時の言い回しです。
(1906年4月22日・萬朝報)
 小村寿太郎氏は、大金をつぎ込んで葉山に土地を買い、小石川原町の邸宅を広げ、最近では郷里の日向に帰って広い屋敷を買うという噂まである。
 しかし、基山(佐賀県あたりの別荘地)にある別荘は、実は毎月の家賃を払っているだけであり、5〜600円ほどの土地が「今買っておけば値上がりして儲かる」と聞いて、手付金として50円を出したが、その後の支払いをしなかったために、手付金は流れてしまって買えなかった――これは事実である。
 小石川原町の屋敷を買ったのは、桂内閣の時に「大臣で家を持っていないのは小村と大浦だけだ」と言われたためで、先生(小村)は慌てて1万円ほどでその家を買い入れた。しかし、すぐにその家を担保に入れて銀行から借金をしたのであり、今その返済を早川千吉郎氏らがいろいろ気遣っている。
 ついでに記すが、大浦兼武氏(逓信大臣経験者)も当時、赤坂溜池にある家を3,500円で買い入れた。しかしその家は非常に古く、裏には役者の座(芝居小屋)があり、周囲は待合(宴席用の料亭)や芸妓屋が並ぶ区域で、先生(大浦)はすっかり嫌になり、今の浜松町へ引っ越した。
 ところがその溜池の家は買い手がつかず、一年以上も地代を払い続けたうえ、このごろようやく2,000円で売り飛ばしたという。

 この記事は 萬朝報(よろずちょうほう) が得意とした政治ゴシップ記事であり、政治家の金銭感覚・生活ぶり・借金事情をからかう意図が強い内容です。登場人物はすべて当時の大物政治家(元勲級)です。

■ 記事の標的:小村寿太郎と大浦兼武

 小村寿太郎(外務大臣)
  ・ポーツマス講和会議の全権
  ・桂太郎内閣の中心人物
  ・国民からは「弱腰講和」として厳しい批判を受けていた(1905〜06)

 萬朝報は反政府・反桂派の論調が強く、小村を「得体の知れぬ金使いの荒い大臣」、「実は金がないのに見栄ばかり張る人物」というイメージで揶揄しています。

 大浦兼武(逓信大臣ほか)
  逓信行政・鉄道・郵便といった「利権の多い分野」を扱った政治家で、こちらも萬朝報は常に批判的でした。

■ 記事の主張=「この二人、見栄で家を買ったが実は金がない」

 記事のトーンをまとめると、“大臣ともあろう者が金に困り、見栄で家を買っては担保に入れ、借金し、売り急いで損をしている”という皮肉です。
 当時の風潮として
  ・大臣は大邸宅を構えるべき
  ・官公庁の社交や来客対応等も自宅で行う
という社会通念がありました。
 それに対し「家がないのは体裁が悪い」という世間の眼を気にして、急いで家を買ったが失敗した、という体裁です。

■ なぜ1906年にこうした記事が出たのか?

 日露戦争後の政治家への不信の高まり
 1905〜06年頃の日本では、
  ・戦争の負担
  ・重税
  ・物価高
が国民に重くのしかかり、政府・官僚・大臣への不信が強まっていました。
 その最たる標的が
  ・桂太郎内閣
  ・小村寿太郎(講和条約の責任者)
です。
 萬朝報は世論を味方につけて政府攻撃を続けており、本記事はその文脈の中で書かれています。

■ 「萬朝報」独特の筆法

 萬朝報は、庶民受けする以下のスタイルを得意としました。
  ・政治家の“財布事情”“裏話”を暴露
  ・俗っぽい表現(机の塵、臭い話、赤字、家の失敗話)
  ・権力者の威厳を貶める記事
 本記事の「文なしの大臣」は典型例です。
   大臣なのに貧乏くさい→ 見栄を張って家を買う→ 実は借金→ 損して売り払う→ 情けない、と笑う
 読者の溜飲を下げるための、政治風刺・ゴシップ記事です。

■ 記事に表れている時代の空気

  ・大臣=財産家で当然という価値観
  ・政治腐敗への疑念(大臣宅=利権の象徴)
  ・日露戦争後の国民的不満による反政府感情
  ・報道の商業主義化(読者ウケ狙い)
これらが合わさって、政治家の私生活まで記事にされる時代でした。

■ まとめ

 この記事は「小村寿太郎と大浦兼武は、体裁を繕うために家を買ったが、実は金に困っており、借金や損失を抱えている」というゴシップを通じて、反桂・反小村の世論を煽る政治風刺記事として読まれます。

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