1905年10月27日 パナマ運河開削工事着手の声明

1905年

引用:聞集成明治編年史 第十二卷 P.519

〔明治38年10月27日、東京朝日新聞〕
(10月25日、ベルリン発)
ルーズベルト大統領は、パナマ運河の開削工事を、アメリカ軍艦の強力な保護のもとで、近く本格的に開始することを声明した。

1. パナマ運河の重要性
• パナマ運河は、大西洋と太平洋を結ぶ大運河で、19世紀以来「世界の海運の夢」とされていました。
• 運河が完成すれば、米国東海岸と西海岸の航路、また欧州とアジアの航路が劇的に短縮されます。
• 例:ニューヨークからサンフランシスコまで、マゼラン海峡経由だと2万km以上 → 運河経由で1万km以下。

2. フランスからアメリカへ
• 当初はフランス人技師 フェルディナン・ド・レセップス(スエズ運河を建設)が1880年代に工事を始めました。
• しかし熱帯病(マラリア・黄熱病)、技術的困難、資金難で挫折。フランス会社は破産しました。
• その後、パナマ(当時コロンビア領)からの独立をアメリカが後押しし、運河建設権を獲得しました(1903年、パナマ独立 → 米パナマ条約)。

3. ルーズベルト大統領の方針
• アメリカ大統領 セオドア・ルーズベルト(在任1901–1909)は、「海軍力強化」と「米国の国際的プレゼンス拡大」のため運河建設を国家事業として推進しました。
• 特に、運河工事の安全確保のために「米国軍艦による保護」を公然と表明したのは、運河を単なる土木事業でなく 軍事・外交戦略の要衝 と位置づけたからです。

4. 当時の国際情勢と日本
• 日露戦争(1904–1905)で日本が勝利し、「太平洋の国際秩序」が動き始めた時期。
• 米国は太平洋における影響力を強め、日本もまたその動きを注視していました。
• パナマ運河建設は、アメリカの「太平洋進出」のシンボルであり、日本の新聞も敏感に報じたのです。

5. その後
• 工事は1904年に米国主導で再開され、衛生対策(モスキート対策など)と技術革新により順調に進みました。
• 1914年にパナマ運河が開通。第一次世界大戦直前で、以後アメリカの世界戦略の中核となりました。

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