1908年01月25日 英国労働党大会

(1908年1月25日、時事新報)(ロンドン、1月22日ロイター電報)
 ハルからの報道によると、英国労働党は、「社会主義を党の目的とする」という趣旨の決議案を採決し、これを可決した。この社会主義案については大会で激しい議論が行われた。賛成派が熱狂的な態度を示したのに対し、反対派からは「君たちは狂っている」と叫ぶ者もあった。
 下院議員であるシャックルトン氏は、このような決議を採択することは、労働党の内部事情だけでなく、労働問題そのものに対しても有害な結果をもたらすものだ、と主張した。それでも最終的には、社会主義を党の明確な目的として掲げる決議案が可決された。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/209

写真・図引用:

この新聞記事が報じているのは、英国労働党が社会主義政党としての性格を強める重要な転換点です。

1900年、労働組合などを母体として労働者代表委員会(LRC)が成立し、1906年には「労働党(Labour Party)」へ発展しました。ただし当初の党は、社会主義者だけで構成されていたわけではありません。労働組合主義者、社会改良主義者、社会主義者などが共存する幅広い連合体でした。

そのため、1908年のハル大会では「労働党は最終的に社会主義を目指すのか、それとも労働者の当面の利益を実現する実務的な政党にとどまるのか」が大きな問題になりました。

実際の決議は、「生産・分配・交換の手段を社会化し、民主的国家によって管理する」ことを党の明確な目的とするものでした。投票では労働組合員を代表する票で51万4,000対46万9,000となり、社会主義案が可決されています。

記事中の「シャットン氏」はD・J・シャックルトン(David James Shackleton)です。彼は労働組合出身の下院議員で、急進的な社会主義路線には慎重でした。決議が党内の「連合」を壊すことを懸念して反対した人物です。

ただし、これは「英国労働党が直ちに革命政党になった」という意味ではありません。実際の労働党は、自由党との協力を行いながら、失業対策、最低賃金、労働条件改善などを議会を通じて実現しようとしていました。この社会主義という長期的目標と、議会による漸進的改革との両立が、その後の英国労働党の大きな特徴になります。

⚫︎ まとめ

この記事の重要点は、1908年の英国労働党が初めて「社会主義」を党の明確な目的として掲げる方向へ大きく踏み出したことです。

ただし党内には、シャックルトンのように「社会主義を明確に掲げれば、労働組合や自由党との協力関係を損なう」と考える勢力もいました。

つまり、この大会では、

労働組合中心の穏健な労働政党
 ↓
社会主義を明確な目標に掲げる政党

という方向転換が議論されたわけです。

なお、同じ1908年の日本では、前年に日本社会党が結社禁止となるなど社会主義運動への警戒が強まっていました。英国では逆に、社会主義的な主張が合法的な議会政党の中で公然と議論されていた点が非常に対照的です。

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