1907年11月14日 地質調査、25周年

1907年

(1907年11月14日、時事新報)
 日本の地質調査事業は、明治11年(1878年)、和田維四郎氏が、政府に雇われていたドイツ人のナウマン氏とともに政府へ建議したことから始まった。その建議は、大久保利通・大隈重信・伊藤博文らの賛成・支援を得て、当時の内務省に「地質課」という部署が設けられたことにつながった。
 その後、明治15年(1882年)には農商務省に「地質調査所」が設置され、和田氏が初代所長となった。その後、巨智部忠承、鈴木敏の両氏を経て、現在は井上禧之助氏が所長を務めている。
(中略)

 わずか25年ほどの間に、日本全国の地質の概要や鉱産資源の分布状況について調査をほぼ完了した。さらに中国・朝鮮にも調査隊を派遣して探検を行い、特に鉱産資源やその実際の利用に関する分野では詳細な調査を実施した。その結果、産業面・学術面の両方で大きな成果を上げ、企業家などに鉱山開発や事業経営の方向を示した例も少なくない。これは非常に大きな成功と言える。
 主な成果を挙げると、まず40万分の1の予察地形図・地質図を刊行し、日本の地質の概要と鉱物資源の分布状況を示した。さらに、より詳しい20万分の1の地質図幅調査を進めており、全国99図幅のうち、すでに74図幅を刊行している。これらには説明書も付けられ、地質や鉱産物の分布状況などが詳しく記載されている。
 また、金・銀鉱床、石炭、石油などについても特別調査を行った。その成果として、釜石鉄山、生野鉱山、筑紫炭田、油田などの調査報告書が作成された。これらは鉱業の発展を促し、鉱山開発などの事業方針を示すうえで大きな役割を果たした。
 さらに、土性図(土壌図)についても10万分の1の縮尺で作成が進められ、すでに大部分が完成しており、残るのはわずか4県だけだという。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/193

写真・図引用:https://www.gsj.jp/chishitunohi_meti/2018/index.html

⚫︎ 日本の「地質調査」は近代国家づくりの一部

この記事の舞台は、明治政府が進めた近代的な資源調査です。

明治初期の日本には、近代的な地質図がほとんどありませんでした。

そこで、

地質を調べる
→鉱山・石炭・石油などの資源を把握
→鉱業・工業を発展させる
→近代国家の経済力を高める

という政策が進められました。

地質調査は、純粋な学問だけではなく、産業政策・資源政策そのものだったのです。

⚫︎ ナウマンが重要人物

記事に登場する「ナウマン氏」は、ドイツ人地質学者のエドムント・ナウマンです。

ナウマンは1875年に来日し、日本の地質調査・地質学の近代化に大きな影響を与えました。

日本列島の地質構造を近代科学によって調査し、後の日本の地質学・地質調査の基礎を築いた人物です。

⚫︎ 和田維四郎

和田維四郎は、日本の近代鉱物学・地質調査の発展に重要な人物です。

この記事では、彼がナウマンとともに政府へ地質調査事業を建議し、その後設立された地質調査所の初代所長になったことが紹介されています。

⚫︎ 「地質調査所」は資源開発の司令塔

1882年に農商務省に設置された地質調査所は、日本全国の地質・鉱産資源を体系的に調査しました。

現在の産業技術総合研究所(産総研)地質調査総合センター(GSJ)につながる組織です。

現在でも日本の地質図・活断層・鉱物資源・火山などの調査を行っています。

⚫︎ 「99図幅中74図幅」という成果

この記事で特に注目したいのが、地質図の整備状況です。

20万分の1地質図幅は全国99図幅のうち、74図幅が刊行済みと報告されています。

これは、明治政府がわずか数十年で日本列島を科学的に「地図化」しようとしていたことを示しています。

⚫︎ まとめ

この記事は、日本の近代的な地質調査が始まって25年を迎え、その成果を振り返った記事です。

ポイントは、

  • 1878年、和田維四郎とナウマンらが政府に地質調査を提案。
  • 1882年、農商務省に地質調査所が設置された。
  • 日本全国の地質・鉱産資源を体系的に調査。
  • 金・銀・鉄・石炭・石油などの資源調査を実施。
  • 地質図・土性図を整備し、鉱山開発や産業発展にも役立てた

ということです。

つまり、「日本列島を科学的に調査し、資源を把握することが、明治日本の工業化を支える基盤になった」という記事です。

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