1906年05月18日 男三郎の判決に対する花井卓蔵の所感

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.93

(1906年5月18日 時事新報)
 男三郎に対する前項の判決について、弁護人の花井卓蔵は次のように語った。
 今回の判決は、実に非の打ちどころがないばかりか、判決理由の中で自白は必ずしも信用できないことを論じ、さらに面会禁止中の予審被告人を警視庁に呼び出して取り調べた結果得られた自白は、証拠としての価値がないと明確に判断した点は、まことに痛快である。
 ただし唯一残念なのは、被告を恋愛狂(病的な恋愛妄想者)として法医学・精神医学上の研究対象とすることを許さなかった点である。言い換えれば、事件記録や、押収された数百通に及ぶ艶書(恋文)、および秘密箱に収められていた物品だけを材料として裁判上の判断を下し、被告の精神状態の全体像に踏み込まなかった点が惜しまれる。
 今後の男三郎について言えば、臀肉切断事件および寧斎殺害事件については無罪となった以上、彼は安らかに獄中で過ごし、残る罪について服役するであろうと思われる。
 ただし男三郎は名誉や世評を気にする性格の男である。彼は薬屋殺しについては自白しているものの、それが計画的殺人(謀殺)ではなく、金を借り、その保証人である伊澤のもとへ同行する途中、偽印が発覚することを恐れて突発的に殺意を抱いたものと見られることを望んでいた。しかし実際には強盗殺人と認定されたため、これは彼の本意ではなかったであろう。
 もし男三郎が控訴するとすれば、「強盗殺人」という法的評価を取り消し、「謀殺」という名目のもとで罪を受けようとするに違いない、などと語った。
 なお花井弁護人によれば、男三郎は獄中で弁護人の面会を受け、今村裁判長に対する感想を問われた際、次のように語ったという。「本当に敬服するほかありません。警視庁での自白は、歌代佐平太という人物にそそのかされ、半ば強いられて行ったものだと申し立てたところ、裁判長は自ら進んで歌代という人物の実在を調査し、実は鶴岡皓という人物であろうと推察され、直ちに召喚して取り調べを行われました。こうした点から見ても、今日の裁判官の中ではまことに得難い熱誠の人です。」と語ったという。

◾️ 男三郎事件とは何か

 野口男三郎事件は、明治後期に世間を震撼させた連続的・猟奇的犯罪事件です。
  ・複数の殺人・傷害事件への関与
  ・被害者の身体損壊(臀肉切断など)
  ・多数の艶書(恋文)や秘密箱の存在
などから、当時の新聞はこれを異常心理犯罪の代表例として大々的に報じました。

◾️ 花井卓蔵という弁護士

 花井卓蔵は、明治期を代表する名弁護士で、
  ・刑事手続の適正
  ・自白偏重主義への批判
  ・被告人の精神状態への配慮
を強く主張した人物です。

 この記事でも、
  ・警察段階での自白の信用性
  ・面会禁止中の取調べの違法性
を正面から評価しており、近代刑事司法の理念を色濃く反映しています。

◾️ 「自白は信用できない」という判断の重要性

 当時の刑事裁判では、
  ・自白が最重要証拠
  ・拷問・誘導的取調べが横行
していました。
 その中で裁判所が、警察で得られた自白には証拠価値がないと明言したことは、画期的な判断でした。花井が「快心の事」と述べている理由もここにあります。

◾️ 精神鑑定が行われなかったことへの不満

 花井は、男三郎を単なる凶悪犯ではなく、精神医学的研究に値する存在(恋愛狂)と捉えていました。

 これは、
  ・責任能力
  ・犯罪心理
  ・矯正・処遇
を科学的に考えようとする、当時としては先進的な視点です。

◾️ 強盗殺人か、謀殺か

 男三郎にとって重要だったのは、動機の評価、世間にどう記憶されるかでした。「強盗殺人」は卑劣で利欲的というイメージが強く、「謀殺」は計画性はあるが、事情を含むという違いがあります。
 彼が法的評価にこだわった点は、名誉観念の強さをよく示しています。

◾️ 今村裁判長の姿勢

 記事が称賛する今村裁判長の姿勢は、
  ・被告の主張を鵜呑みにしない
  ・しかし無視もしない
  ・実際に裏付け調査を行う
という、近代裁判官像そのものです。

 男三郎自身が敬意を示している点は、当時の裁判としては異例でした。

◾️ まとめ

 この記事は単なる判決評ではなく、
  ・自白偏重から証拠重視へ
  ・異常犯罪を精神医学的に捉えようとする試み
  ・裁判官の職業倫理の転換
といった、明治後期日本の刑事司法が近代化していく過程を生々しく伝えています。

 男三郎事件は、猟奇犯罪であると同時に、日本の刑事裁判の質を問い直す転換点でもあったことが、この論評からよく分かります。

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