(1906年5月4日 中外商業新報)
⚫︎阪神電気鉄道の同盟罷業(ストライキ)は、少しの間世間を驚かせたものの、結局は大事に至らず沈静化した。これは会社にとってはまことに幸運なことであったが、この騒動によって重役間の内情が外部に漏れたことについては、その責任をいったい誰が負うべきなのか、一度問いただしたいところである。
この騒動について当地では、「重役同士の権力争いだ」とか、「杉村を事務方から追い落とすために起こされたものだ」などとさまざまに噂されているが、実際のところ、そこまで深刻な話とも受け取られてはいない。
実際には、多くの重役は当日になっても同盟罷業が起こったことを知らず、外部からその知らせを聞いてあわてて会社に駆けつけ、そこで初めて、前日に運転手らから要求条件が提出されていたことを知った程度であったという。
⚫︎大阪精糖会社では、株主と重役との間で起きていた紛争がようやく解決し、重役側はこの機会に株主の要求に応じて臨時株主総会を開き、同時に全員が総辞職することを決めた。
これに対し、増資派の株主はすでに新しい重役候補者を定めており、その顔ぶれは、浮田桂造、藤本清兵衛、伊藤茂七、香野市太郎、高津久右衛門、河田定吉、田中稲人の諸氏である。
⚫︎また、紡績会社の有力者たちが近ごろ相次いで清国(中国)視察に出発しており、まもなく大阪の山邉氏、三重の齋藤氏も出発する予定だという。これは同業界が清国において大きな発展を遂げる前触れであり、まことに喜ばしいことである。
⚫︎資本金五百万円で新たに設立される予定の共同火災保険会社では、社長に田邉貞吉氏、事務取締役に村上定氏、取締役兼支配人に高山圭三氏が内定したとのことである。
⚫︎宇治川水力電気会社の創立委員はすでに決定しているが、創立総会で選ばれる重役には意外な人物が多く含まれるだろうと伝えられている。おそらく、創立委員からそのまま重役に就く者は三分の一にも満たないだろうと見られている。
⚫︎北浜銀行の頭取・岩下清周氏は、以前から辞任の意向を持っていたが、後任にふさわしい人物が見当たらず、判断を先延ばしにしていた。しかし最近では、田中市太郎氏がいよいよ経営を引き受けるのではないか、という説が出ている。
大阪の実業界における中心人物たちも、次第に新陳代謝の兆しを見せており、今後は人物の系統に多少の変化が見られるであろう。その点については、後日あらためて報告したい。
◾️ 明治末期・大阪経済界の動揺
1906(明治39)年は、日露戦争終結直後にあたり、日本経済が急速に拡大・再編されつつあった時期です。大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれるほどの工業都市で、
・鉄道
・紡績
・製糖
・銀行
・保険
・電力
といった分野で企業活動が活発化していました。
一方で、急成長の裏側では
・労働争議(同盟罷業)
・株主と重役の対立
・経営権争い
が頻発していました。
◾️ 阪神電鉄ストライキの意味
阪神電鉄は1905年に開業したばかりの新興企業で、都市交通の要でした。
そこで起きた同盟罷業は、
・近代的労働運動の萌芽
・経営陣の統制不足
を示す事件でしたが、記事が強調するように、重役の多くが事前に把握していなかったという点は、当時の企業統治の未成熟さを物語っています。
◾️ 株主権の台頭
大阪精糖の事例は、
・株主が経営陣に臨時総会を要求
・重役が総辞職
という、今日で言うガバナンス改革に近い動きです。明治後期には、会社法制の整備とともに、株主の発言力が急速に強まっていました。
◾️ 清国進出と対外投資
紡績業界の実業家が清国視察に向かっている点は、
・日本資本の海外進出
・中国市場への期待
を示しています。日露戦争後、日本は東アジアにおける経済的影響力拡大を強めていました。
◾️ 電力・保険・銀行 ― 新産業の勃興
・宇治川水力電気会社:水力発電という新技術を基盤とするインフラ産業
・共同火災保険会社:近代的リスク管理産業
・北浜銀行:大阪金融界の中枢
これらはいずれも、近代資本主義の完成段階に入った日本経済を象徴する存在です。
◾️ 記事全体の性格
この記事は単なる企業ニュースではなく、
・労働
・株主
・経営者
・新産業
がせめぎ合う「明治末・大阪実業界の転換期」を俯瞰的に伝えるコラムです。
「頭株も追々新陳代謝」という表現に、旧来の実業家から新世代への交代を見据える、当時の経済記者の視線がよく表れています。


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