(1906年4月23日 東京日日新聞)
築地にあるメトロポールホテルは、昨年冬に若尾幾造・平沼騏一郎・木村庫之助ら十数名が出資し、資本金20万円の株式会社として組織された。その後、さまざまな設備を改良してきたが、近ごろ外国人観光客が急増しているため、さらなる規模拡大の必要を感じている。
そこで、30万円の増資を実施し、工学士・遠藤於菟(えんどう おと)氏の設計によって、150室以上を備えた四階建ての増築を行うことが決まったという。1階部分には、300人以上を収容できる大食堂と、それにふさわしい応接室が設けられる予定だと伝えられている。
◾️ メトロポールホテルとは
メトロポールホテル(築地メトロポールホテル)は、明治期の東京を代表する洋風ホテルの一つで、外国人観光客や外交官、実業家に人気があった高級ホテルです。場所は現在の中央区築地周辺。
1890年代後半〜1900年代初頭にかけて、外国人向けホテルは
・帝国ホテル
・精養軒
・メトロポールホテル
などが競い合い、東京の近代化を象徴する存在でした。
◾️ 増資に参加している人物たち
記事に出てくる出資者は、明治の政財界の名士です。
・若尾幾造(わかお きぞう)
甲州財閥・若尾家の中心人物で、日本の製糸業を代表する実業家。
・平沼騏一郎(ひらぬま きいちろう)
後の首相(1939年)。当時は法曹界の有力者。外国人接遇や国際関係への関心が強かった。
・木村庫之助
明治の政商として知られる人物で、金融・殖産興業に関わった実業家。
このホテルが、単なる宿泊施設ではなく、政財界や外交の要人を迎える「社交の場」として位置づけられていたことが推測できます。
◾️ 背景:日露戦争後の外国人観光ブーム
1905年の日露戦争勝利をきっかけに、日本は国際的な注目を一気に集めました。
・欧米人の「勝者・日本を見たい」という訪日ブーム
・観光・視察目的の旅行者の急増
・日本の対外イメージ向上
こうした状況により、外国人向けホテルは客室不足となり、東京・横浜・神戸などで次々と増築・新設が進みました。メトロポールホテルの増資・増築計画はこの流れの一環です。
◾️ 「150室以上・四階建て・300人収容の大食堂」は当時としては破格
当時の東京では、150室を超えるホテルはかなり大規模でした。
・帝国ホテルでさえ、増築前は80〜100室規模
・300人収容の大食堂は、国際会議・外交晩餐会の開催が可能
これは、外国人客を本格的に迎え入れる“国際都市・東京”を象徴する建築計画でした。
■ まとめ
この記事は、明治後期の東京で外国人旅行者が増えていたこと、政財界の有力者が外国人接遇のためのホテル事業に投資していたことを示す重要な史料です。メトロポールホテルの増築計画は、日露戦争後の国際的地位上昇と観光業の拡大を背景にした、日本の近代化の一コマといえます。


コメント