(2月23日・東京朝日新聞)
明治37〜38年の日露戦争において、戦闘で戦死、または戦傷後に死亡した軍人・軍属のうち、昨年5月の靖国神社への合祀から漏れていた者、さらにその後に死亡した者について、このたび靖国神社へ合祀することが決まり、来る5月1日に招魂祭が執り行われ、続いて2日から5日まで臨時大祭を実施する旨が、昨日陸軍省と海軍省から告示された。
今回合祀される人数は3万1千余名であり、下記の諸氏がその委員に任命された。なお、乃木将軍が委員長を命じられている。
委員は次の通り、
本郷(陸軍少将)、小倉(海軍少将)、野間口(海軍大佐)、菊地(陸軍中佐)、梅田(陸軍少佐)、広瀬(主計正)、江森(陸軍少佐)、大津留(主計)、ほか10名。
時代と事件の位置づけ
この記事は日露戦争(1904〜1905)終了後の処理に関する報道です。戦争で亡くなった軍人・軍属は、国家の公式戦没者祭祀施設である靖国神社に合祀(霊を祀る)されることになっていました。
しかし、戦死者数が非常に多く、また戦地での記録確認の困難さ、負傷後の死亡者の把握遅れなどから、大量の合祀漏れ(未登録戦没者)が生じました。そのため、追加確認作業を行い、新たに3万1千人超を合祀する特別儀式を行うことになったと報じています。
戦死者数の規模
日露戦争における日本側の戦没者は約8万人とされており、そのうち4割近くが合祀されていなかったことになります。これは、戦死者の照合作業が非常に混乱していたことを示します。
乃木将軍が委員長とされた理由
記事で委員長となっている乃木希典(のぎ まれすけ)大将は、日露戦争の象徴的人物の一人で、旅順攻略戦の指揮官として知られ、多大な損耗の責任を負う立場にありました。
そのため、戦死者慰霊の中心人物となることは政治的にも軍部内の象徴としても適切とみなされたと考えられます。
合祀の政治的意味
靖国合祀は単なる慰霊ではなく、
• 国家としての戦争責任処理
• 遺族感情への対応
• 軍の士気維持
• 国民統合の儀礼
といった国家政策上の重要な役割がありました。
明治国家では、靖国神社は「国家と天皇のために命を捧げた者を祀る特別な神社」と位置づけられており、合祀されることは戦死者にとって最大の名誉と考えられていました。


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