1905年10月12日 三ツ矢平野水の経営改善

1905年

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.503

〔明治38年10月3日、東京朝日新聞〕
我が国には平野水(鉱泉水)の湧き出る池はいくつもあるが、最も盛んなものは兵庫県平野村にある「三ツ矢印の平野水」である。一昼夜におよそ1,200石(=約216,000リットル)が湧き出るといい、しかも天然の炭酸ガスを含むものは「三ツ矢印」のほかにはないという。
ところが、これまでは経営がうまくいかず、事業が困難に陥っていた。そこで今回「三ツ矢平野鉱泉合資会社」が業務一切を買い取り、この鉱泉水の真価を大いに発揮させ、海外にも輸出する計画だという。

1. 「三ツ矢印の平野水」とは
• 「三ツ矢平野水」とは、兵庫県川西市(旧・多田村平野)で湧き出ていた天然の炭酸鉱泉水のこと。
• その水質の良さから、明治期には「三ツ矢印平野水」として瓶詰め販売されていました。
• 「三ツ矢印」の名前は、平野村の土地を所有していた三家の武士の家紋「三ツ矢」(後に三菱財閥の岩崎家も使用)に由来するとされます。

2. 経営改善の意味
• 当時、天然鉱泉の事業化は資本や流通網の問題で失敗しやすく、三ツ矢平野水も経営難に陥っていました。
• そこで資本を集めた「三ツ矢平野鉱泉合資会社」が事業を引き継ぎ、本格的に商業展開を進めることになった、というのがこの記事の内容です。
• その後この会社は大日本麦酒(現在のアサヒビールの前身)と関わり、やがて 「三ツ矢サイダー」 のブランドへと発展していきます。

3. 時代背景
• 明治期は西洋文化の影響で「炭酸水」「サイダー」「ラムネ」などの清涼飲料が流行し始めた時期でした。
• 日本の天然炭酸泉は貴重であり、輸出すれば欧米市場でも競争できると考えられていました。
• 記事の「海外輸出計画」は、日本産の飲料が「戦勝国日本の新産業」として注目されていたことを示しています。

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