(1906年6月2日)
これまで数回の帝国議会に対して提出されてきた、女子参政権の付与および政治演説の傍聴を認めることを求める請願については、第22回帝国議会において、政治演説を傍聴することを認めるという点だけが、ようやく採択されたにとどまった。
その他の要求については、政府はいまだに全面的に反対の立場を取っているという。その理由とするところは、そもそも日本の女性の美徳とされてきたのは、温和で貞淑であることにあり、いわゆる「良妻賢母主義」は、日本における女子教育の基本方針である。
そのような立場からすれば、政党政治の渦中に女性が巻き込まれるようなことは、たとえ個々人の人格に問題がない場合であっても、とかく軽薄な方向に流れやすい恐れがあり、日本の女子教育の方針とは根本的に相容れない。
したがって、これらの請願を受け入れることはできない、というのが政府の見解である。
◾️ 明治期における女子参政権運動
この記事が書かれた1906年(明治39年)は、日本ではまだ、
・女性の選挙権・被選挙権は一切存在せず
・女性は政治集会への参加・発言すら厳しく制限
されていた時代です。
とくに1890年の集会及政社法により、女性は、
・政治集会への参加
・政治的演説の聴講
さえ、原則として禁止されていました。
◾️ 「政談演説傍聴」の意味
記事で言う「政談演説傍聴」とは、政治演説を聞くだけで発言や参加は認めないという、きわめて限定的な権利です。それでも当時としては、「女性が政治の話を公の場で聞く」こと自体が大きな前進でした。
第22回帝国議会でこれが採択されたことは、女性の政治的排除が部分的に緩和された初めての例といえます。
◾️ 良妻賢母主義とは何か
良妻賢母主義は、明治国家が女子教育の中心理念として掲げた考え方で、
・家庭を守る良き妻
・子どもを育てる賢い母
になることが、女性の社会的使命だとされました。
この記事では、これを「日本女子の美点」「女子教育の方針」として絶対視し、政治参加をその対極に置いています。
◾️ 政治参加=「軽佻」とする論理
政府の反対理由として示されている論理は、
・政党政治は対立・抗争を伴う
・女性がそこに関与すると「軽佻(軽はずみ・不真面目)」になりやすい
という、当時の強い性別役割意識を反映しています。
これは現代から見れば偏見に満ちた見解ですが、当時の官僚・政治家層にとっては「常識」でした。
◾️ 女性運動側の動き
一方でこの時代には、
・女子教育の拡充
・婦人雑誌の創刊
・キリスト教系女性団体の活動
などを背景に、女性自身が
・請願
・署名運動
を通じて政治的権利を求め始めていました。
この記事は、そうした初期フェミニズム運動に対する、政府の公式的な拒否反応を伝えています。
◾️ 歴史的意義
この記事の重要性は、
・日本で指摘に「女子参政権」という言葉が新聞に登場していること
・それに対する政府の論理が明確に記録されていること
・限定的とはいえ、女性の政治的空間が初めて広がったこと
にあります。
女性の参政権が実現するのは、
・衆議院選挙権:1945年
・初の女性議員誕生:1946年
と、まだ40年近く先のことでした。
◾️ まとめ
この新聞記事は、「女性に政治を聞くことは許すが、関わることは断じて許さない」という、明治国家の女性観と政治観を如実に示しています。同時にそれは、女性が政治に近づき始めた最初のひび割れが、社会に生じていたことをも伝える、象徴的な記事です。

コメント